【日綿實業・ニチメン】大淀製紙

日綿の紙パルプ業界への参入は1955年、兵庫パルプ(株)に資本参加し、そのパルプの販売権を得て実質的にスタートした。
当時、紙の需要が急増、製紙用パルプが不足気味となったため、大分県の企業誘致にのって、同県鶴崎の臨界工業地帯に兵庫パルプの新工場を建設した。この新工場を1958年4月、分離独立させ、日綿全額出資の「鶴崎パルプ株式会社」が誕生した。1964年6月に本州製紙が経営参画。
また1960年6月には、「大淀製紙」に資本参加し、同社の羽曳野工場が翌年10月に完成すると、同社と販売総代理店契約を結び、包装紙と段ボールの取扱を始めた。このほか、金沢の農業用温床紙メーカー、「三善製紙」を系列化、総代理店として製紙原紙を同社の子会社、「マチダ紙業」(後・ニチパック)へ供給し、マチダ紙業のショッピングバッグなどの製品販売を行った。
古紙の商権については、日綿が商社では先駆していた。1960年頃から、日綿は古紙の取り扱いを始めた。1963年には米国からIBMカード古紙、香港から模造古紙を輸入した。さらに、1969年、1970年には大阪、京都で大型プレス機を導入して、そこで古紙をプレスして製紙会社に供給するという事業を開始し、ロサンゼルスから初めて段ボール古紙を大量輸入するなどの新しい試みもみられた。
当時、紙の需要が急増、製紙用パルプが不足気味となったため、大分県の企業誘致にのって、同県鶴崎の臨界工業地帯に兵庫パルプの新工場を建設した。この新工場を1958年4月、分離独立させ、日綿全額出資の「鶴崎パルプ株式会社」が誕生した。1964年6月に本州製紙が経営参画。
また1960年6月には、「大淀製紙」に資本参加し、同社の羽曳野工場が翌年10月に完成すると、同社と販売総代理店契約を結び、包装紙と段ボールの取扱を始めた。このほか、金沢の農業用温床紙メーカー、「三善製紙」を系列化、総代理店として製紙原紙を同社の子会社、「マチダ紙業」(後・ニチパック)へ供給し、マチダ紙業のショッピングバッグなどの製品販売を行った。
古紙の商権については、日綿が商社では先駆していた。1960年頃から、日綿は古紙の取り扱いを始めた。1963年には米国からIBMカード古紙、香港から模造古紙を輸入した。さらに、1969年、1970年には大阪、京都で大型プレス機を導入して、そこで古紙をプレスして製紙会社に供給するという事業を開始し、ロサンゼルスから初めて段ボール古紙を大量輸入するなどの新しい試みもみられた。