戦後復興、高度経済成長へ
新規事業拡大を通じて日本の経済成長を牽引
終戦を迎えた日本では、貿易はGHQの管理下に置かれ、総合商社はGHQの指示による物資の配給業務に従事した。昭和22(1947)年に制限付き民間貿易が再開されると、戦前に強みのあった地域に駐在員を派遣し、いち早く各国との貿易再開を図った。朝鮮特需を経て、高度経済成長期になると総合商社にとって新規事業拡大の好機が訪れた。
終戦直後の昭和21(1946)年に岩井産業社長の岩井雄二郎が、貿易庁顧問に就任し、 昭和22(1947)年には、吉田茂首相の要請により日商社長の永井幸太郎が貿易庁長官に就任。日綿實業はGHQの食糧の配給業務を請け負い、インド、パキスタン、エジプト等からの綿花の輸入を再開した。財閥解体の対象とならなかった日綿實業は、昭和28(1953)年には輸出入の5%を取り扱い、総合商社中第一位となった。
日綿實業は、戦前より中国に強みがあり、相談役の南郷が毛沢東と会談。昭和35(1960)年には大手商社として初めて友好商社に指定された。また日本の成長に伴いファッションに対する関心が高まる中、昭和38(1963)年に米国・マックレガーと提携し、日本での商標独占使用権を獲得した。また岩井産業、日商等と共にオリエントリース(現・オリックス)を設立し、設備投資需要が旺盛な高度経済成長期の日本にリースという概念をもたらし、新たな金融テクノロジーにより日本の成長を支えていく。
岩井産業は、高度経済成長に必要な鉄鋼需要を支えるため、昭和30(1955)年にブラジルの鉄鉱石の輸入を開始、昭和31(1966)年から15年間の鉄鉱石の対日輸入契約を締結した。また、国内では八幡製鐵商品の取扱高はトップを誇っていた。
昭和22(1947)年に日商産業から商号変更した日商は、鈴木商店時代から受け継いできたインド・タタ財閥の銑鉄輸入ビジネスをいち早く復活させた。会長の高畑誠一は「戦後軍需を失った日本造船界の生き残る道は船舶輸出以外をおいて他にない」と戦後初の船舶輸出を成約させ、以後、日商は日本の船舶輸出で首位を独走、世界一となった“造船立国・日本”を牽引した。また新たなエネルギーとして期待されていた原子力を手掛けるため、旧鈴木系と縁の深い企業と共にFAPIG(第一原子力産業グループ)を設立、同グループは日本初の商業原子炉を納入した。更に新たな輸送手段として航空機に注目し、昭和31(1956)年にボーイングの代理店権を取得。その後、日本向けに大型旅客機を大量導入する。
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日綿幹部と毛沢東との会談
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ブラジルにおける鉄鉱石の採掘
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FAPIGが受注した建設中の東海原子力発電所
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