明治・大正の産業革命期

“貿易立国・日本”の礎を築く

日本は、日清・日露戦争を経て、軽工業から重化学工業への転換を図っていく。そして大正3(1914)年に第一次世界大戦が勃発すると、これまで“世界の工場”としての役割を果たしてきた欧州が戦場となり、物資の供給が滞った。一方、日本には大量の注文が舞い込み、日本の産業革命は一気に進むことになる。日本は大戦中、純債権国に転じ、日本の貿易立国の礎が築かれた時期でもあった。

日本綿花は、設立後にインド、エジプト、中国、米国から綿花を調達し、日本最大の産業である紡績業に対し原料を供給する一方、製品である綿糸・綿布の輸出の拡大に貢献した。特に大戦時には最大の生産国であった英国からの供給が細ったことから日本の製品輸出は急拡大し、日本は世界最大の紡績大国となる。綿花の調達はビルマ(現・ミャンマー)や東アフリカにも広がり、羊毛の調達や生糸の輸出など事業の多角化を図り、さらに人絹分野では鈴木商店・帝国人絹(現・帝人)連合に対抗し、旭絹織(現・旭化成)を設立した。

岩井商店にとって最初の製造業への進出は、メリヤス(ニット)事業(現・トーア紡コーポレーション)であったが、鉄材輸入にも強かったことから亜鉛鉄板事業に進出(現・日新製鋼)。また世界初のプラスチックであるセルロイドを鈴木商店と共に事業化(現・ダイセル)。大戦が勃発し、欧州からの取扱商品の輸入が途絶えると岩井勝次郎は、「いつまでも海外に頼ってはならん」と輸入の国産化構想を進め、現在のトクヤマ、関西ペイントを設立。大戦後には現在の日本橋梁を設立し、勝次郎が設立した製造事業会社群は、勝次郎の戒名にちなみ「最勝会」としてグループ化され、現在も親睦を深めている。

鈴木商店は、砂糖、樟脳、薄荷といった軽工業を手始めに、第一次大戦頃からは製鉄、金属、造船、化学等の重化学工業に進出。更に石油、油脂、ビール、製粉事業へと多角化する。現在の神戸製鋼所、帝人、IHI、日本製粉、昭和シェル石油、サッポロビール、ニッカウヰスキー、J-オイルミルズ、日油、三井化学、三菱レイヨン、日塩、太陽鉱工、日本精化、ニチリン、東邦金属、鈴木薄荷などは鈴木商店ゆかりの企業である。第一次世界大戦が勃発すると金子直吉は大投機を仕掛け、巨額の富を手にする。英国・ロンドンでは高畑誠一(日商の創始者の一人)が連合国相手に強気のビジネスを展開。連合国に大量の物資を供給し、スエズ運河を通る船の1割が鈴木の船ともいわれた。大正6(1917)年には当時の日本のGNPの1割に相当する売上を記録し、日本一の総合商社となった。

インド綿の集荷作業
創業時の日本曹達工業(現・トクヤマ)
播磨造船所(現・IHI)の進水式

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