オイルショックと高度経済成長の終焉
高度経済成長を支えた資源の安定供給
昭和43(1968)年、日商と岩井産業が合併し、日商岩井が誕生する。この時期、八幡製鉄と富士製鉄が合併し、また川崎グループが統合する等、産業再編の機運が高まっていた頃でもあった。高度経済成長期にはエネルギー需要が拡大し、商社にとってはエネルギーソースの確保、安定化が重要となっていた。さらにその後に襲ったオイルショックが、その役割を高めることになる。
日商岩井は、LNGがまだ一般的でなかった時代の昭和48(1973)年に、インドネシアのプルタミナと20年間の長期引取契約を締結、日本最大のLNG導入プロジェクトを纏め上げた。さらに日本の電力会社に原子力燃料の供給を開始。昭和55(1980)年にはフランス・コジェマ(現・AREVA)社の原子燃料の対日総代理権を取得し、日本の原子力産業のパイオニア的な役割を果たす。
アジア最大の化成肥料メーカーとなるTCCC社をタイに設立、現在南米最大の石油化学会社に成長しているブラジルのBRASKEMにつながるCPC社への経営参画も行い、この時期、海外の事業会社設立を加速した。また昭和46(1971)年には、当時、従業員わずか30数名の中小企業であったナイキ社と靴の取引を開始し、この取引が後に日商岩井との合弁によるナイキ・ジャパンの設立に発展する。
日綿實業は中国、ソ連、ポーランドなどの共産圏地域に強みがあり、1960年代後半にはソ連と鉄鉱石、ポーランドと石炭の長期契約を締結し、昭和49(1974)年には日商岩井と共にソ連ヤクート炭プロジェクトの幹事商社として日ソ間の経済交流に貢献した。昭和45(1970)年には、ポーランド向けにベアリングプラントを輸出し、以後ベアリングは日綿の強みのある商品となっていく。中国とは日中国交正常化後、日本として初めての大型プラント(カラーテレビ製造プラント)の商談を纏め、昭和55(1980)年には黒龍江省と円借款による農業開発事業を行っている。
昭和48(1973)年には、エアバス社の日本総代理権として航空機ビジネスに参画。その他にもサウジアラビアの王宮建設を受注するなど機械分野にも積極展開していく。日本の資本自由化に伴い外資の日本参入が本格化してくると、世界最大のビスケットメーカーであったナビスコと共にヤマザキ・ナビスコを設立し、日本に欧米の菓子文化をもたらした。また日本の所得向上に伴い住宅建設が活発化するとマンション分譲・リゾート事業に参入。住宅用木材の需要の高まりを受け、インドネシアにおける森林開発や米材確保のための投資を行い、昭和53(1978)年には米材・南洋材などの全樹種を合わせた輸入実績で日本一となっている。
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日商岩井合併発表(昭和43年5月2日)
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LNG船
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南ヤクート炭開発、現地視察団
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