【日綿實業・ニチメン】衣浦埠頭完成披露パーティー(1969年)

木材部門は総合商社のなかで後発であり、そのハンディを克服するために、「何よりもコストダウンが決め手」として、日綿独自の新しいノウハウを工夫した。その一つは、木材専用船の開発である。まず古い定期船の改造から始め、甲板を取り除いて「シングルデッカー」にし、ハッチ口を広げるなど工夫して、従来より2倍の木材を積めるようにした。
さらに新造船に関しても、計画造船で専用船を建造した。建造する際、船会社に積み荷保証をし、その船を5年から7年までの長期運賃契約で配船することにより、運賃の低減をはかったのである。
初めて計画造船で建造した木材船は、1966年に就航した「松島丸」(1万6,000トン)で、その後、1968年にかけて「ジャパン・ホリイ号」(1万6,500トン)、「ジャパン・アゼリア号」(2万1,000トン)など業界最大級の大型専用船が次々就航した。大量輸送による輸送コスト低減であり、従来の方式よりも50%ものコストダウンができたのである。
こうした輸送面の効率化に加えて、荷役の合理化をはかるため、港湾設備の整備の一環として、木材船専用の埠頭を業界に先駆けて建設した。
1968年、日綿は、愛知県が造成した衣浦湾の臨海工業団地の一画を購入、2万トン級の大型木材専用船が接岸できる専用埠頭を建設した。この埠頭の運営のために、翌年、日綿とジャパンライン(後、ナビックスライン)、半田港湾(株)の3社の共同出資で「衣浦埠頭株式会社」(後、衣浦産業)を設立。同埠頭は、8万2,000平方メートルの広大な敷地に、長さ150メートルの岸壁と最新の荷役設備を備えた輸入原木・製材の土場(野積み場)をもち、荷役作業の合理化、スピードアップに大きな役割を果した。
さらに新造船に関しても、計画造船で専用船を建造した。建造する際、船会社に積み荷保証をし、その船を5年から7年までの長期運賃契約で配船することにより、運賃の低減をはかったのである。
初めて計画造船で建造した木材船は、1966年に就航した「松島丸」(1万6,000トン)で、その後、1968年にかけて「ジャパン・ホリイ号」(1万6,500トン)、「ジャパン・アゼリア号」(2万1,000トン)など業界最大級の大型専用船が次々就航した。大量輸送による輸送コスト低減であり、従来の方式よりも50%ものコストダウンができたのである。
こうした輸送面の効率化に加えて、荷役の合理化をはかるため、港湾設備の整備の一環として、木材船専用の埠頭を業界に先駆けて建設した。
1968年、日綿は、愛知県が造成した衣浦湾の臨海工業団地の一画を購入、2万トン級の大型木材専用船が接岸できる専用埠頭を建設した。この埠頭の運営のために、翌年、日綿とジャパンライン(後、ナビックスライン)、半田港湾(株)の3社の共同出資で「衣浦埠頭株式会社」(後、衣浦産業)を設立。同埠頭は、8万2,000平方メートルの広大な敷地に、長さ150メートルの岸壁と最新の荷役設備を備えた輸入原木・製材の土場(野積み場)をもち、荷役作業の合理化、スピードアップに大きな役割を果した。