日商岩井

マレーシア・ザイール銅鉱山開発

非鉄資源自主開発の嚆矢

日商岩井誕生の頃、国内の非鉄鉱山が相次ぎ閉山に追い込まれており、日本政府は発展途上国に偏在している銅の安定ソース確保のため、国家プロジェクトとして銅鉱山の自主開発に取り組むようになる。

昭和40(1965)年、国連の調査でマレーシア・サバ州のマムートに金・銀を含む銅の鉱床が発見された。日商岩井は、日本の産銅会社と海外鉱物資源開発(株)(OMRD)とともに探鉱権の国際入札に応札。当時、欧米の巨大産銅会社は、銅鉱山の露天掘りの経験のない日本を競争相手とはみなしていなかったが、日本連合が探鉱権を落札した。

昭和50(1975)年にマムート銅鉱山の開山式が行われ、平成11(1999)年の閉山に至るまでの間、244万トンの銅精鉱(銅量58万トン)のほぼ全量を日商岩井が取り扱った。

一方、ザイール(現・コンゴ民主共和国)のムソシ銅鉱山開発にも参画し、昭和44(1969)年にコンゴ政府とともに合弁会社を設立。昭和47(1972)年にザイール共和国・モブツ大統領臨席のもと盛大な竣工式が挙行され、日本向けに産出銅精鉱が初出荷された。同鉱山は周辺国の政情不安などの影響を受け、昭和58(1983)年にザイール政府への譲渡を行うが、精鉱生産量1,480万トン、銅量換算約36万トンの銅精鉱全てを日本に送り出すことにより、日本とザイール両国の経済発展に大きく貢献した。

マムート銅鉱山採掘現場
マムート銅鉱山全景
1970年代のムソシ銅鉱山