鈴木商店

船鉄交換条約

金子直吉の民間外交が造船業を救う

第一次世界大戦が勃発すると、米国は軍事上重要な物資となる鋼材の輸出を禁止した。日本の造船業界は、鋼材を輸入に依存していたため、鉄飢饉による深刻な打撃をこうむる可能性があった。政府は外交ルートを通じて米国と交渉するも不調に終わったが、鈴木商店の金子直吉は川崎造船所の松方幸次郎とともに立ち上がり、民間人として直接米国大使と交渉を開始した。

そして日本が船舶を米国に提供し、その代わりに米国は鉄材を日本に供給するという「船鉄交換条約」を締結することに成功。民間外交により造船業界の危機を救う快挙を為した。この条約で建造された船舶は45隻にも及び、その内6隻は鈴木商店の播磨造船所で建造された。

米国のモリス大使は金子直吉の功績を高く評価。「金子直吉氏が幾多の困難を排してついにこの契約をまとめられたことに対して、予は称賛してやまないものである」と述べ、記念の置時計が鈴木商店に贈られた。

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条約に基づき播磨造船で建造されたEASTERN SHOREの進水式(1918年)
米国代表との会食
米国政府から金子直吉に贈られた置時計