「ヤマザキ・ナビスコ(株)」の設立

外資との提携、日本の菓子業界への貢献

昭和42(1967)年には資本取引自由化の基本方針が閣議決定され、日本もいよいよ外国の資本が直接投資される時代となった。

 

日綿は昭和45(1970)年に、世界最大のビスケットメーカーである米国のナショナル・ビスケット社と山崎製パンをパートナーに合弁会社「ヤマザキ・ナビスコ」を設立した。

 

当時は、外資の進出とあって、政府当局が難色を示し、また中小企業の多い製菓業界からも反対の声が多かったが、昭和46(1971)年よりナビスコの「リッツ」ブランドクラッカーなどスナック菓子の製造販売を開始。日本の菓子はそれまで量り売りが主流だったが、ナビスコが一つひとつ箱に入れて販売したため、他のメーカもこれに追随して消費者の便宜が向上、日本の製菓業界のレベルアップへとつながった。

 

[外部サイト]

  • 米国ナビスコ本社での商談

  • ナビスコ製品

  • ヤマザキ・ナビスコ古河工場