【日綿實業・ニチメン】阪神サイロ

1950年夏、横浜に駐屯する米国8軍団が野戦用小麦粉数千トンを緊急調達するにあたり、日綿は日清製粉と業務提携を行い、窓口商社となった。これが日清製粉との取引の始まりである。1953年から小麦加工貿易が通産省の原料輸入外貨割り当て制度のもとで発足し、小麦粉輸出が本格化。日綿は日清製粉の小麦粉輸出取扱い実績で断然優位を占めた。1967年に小麦自由化の動きが出てくると、1970年1月、日清製粉と上組との合弁による「阪神サイロ」を設立した。サイロは当初4万トンであったが、6万7000トンに増設され、後背地には日清製粉の新鋭製粉工場が稼働した。