【日綿實業・ニチメン】下諏訪倉庫大豆サイロ(1968年)

食糧部門では1970年ごろ、穀物をバラ輸送する流通システムで、商社の先鞭をつけた。長野県南部はみそ、凍り豆腐の有名な産地であり、日綿は食用大豆を中国などから輸入、これらの製造業者に販売していた。その大豆は従来、バラ積みしたものを東京・晴海埠頭のサイロ(穀物倉庫)に入れ、袋詰めにし、そこから鉄道で運んでいた。
物流コストの削減を図るため、輸入大豆を晴海から直接、国鉄のバラ積み専用船(ホキ車)で送り、現地のサイロに収容、需要家には専用バラ積みトラックで戸口まで配送することを計画。1968年8月、サイロ建設は具体化し、国鉄下諏訪駅近くに650トン収容の鉄板サイロを地元の倉庫業者、下諏訪倉庫株式会社と共同で建設した。バラ積み輸送は日綿が初めて導入した方式であり、大豆の売り込みに大きな武器となった。
物流コストの削減を図るため、輸入大豆を晴海から直接、国鉄のバラ積み専用船(ホキ車)で送り、現地のサイロに収容、需要家には専用バラ積みトラックで戸口まで配送することを計画。1968年8月、サイロ建設は具体化し、国鉄下諏訪駅近くに650トン収容の鉄板サイロを地元の倉庫業者、下諏訪倉庫株式会社と共同で建設した。バラ積み輸送は日綿が初めて導入した方式であり、大豆の売り込みに大きな武器となった。