インド塩のニチメン
ポスト中国から始まった新たな供給先
従来、ニチメンは中国の工業塩を輸入していたが、昭和62(1987)年、中国政府が塩の輸出禁止を実施し、供給源を絶たれたことから新たなソースとしてインド塩に注目し、昭和63(1988)年からインド・グジャラート州のジャムナガールに古くから開けた塩田を持つチョーグレソルト社との取引を開始。チョーグレソルト社の親会社チョーグレ&カンパニーは、鉄鉱石の輸出で成長し、後に造船、セメント、ビール、新聞社などを多角的に経営するインドの中堅財閥であった。
平成8(1996)年には、チョーグレ社との独占販売契約締結と同時に、設備増強のための融資も行い、20万トン/年程度だった生産能力を45万トン/年にまで引き上げる計画を打ち出し、安定供給を着々と進めた。塩の品質が優良でなければ受け付けない日本需要家の厳しい水準に合わせるため、日本側から品質改良・管理を徹底して行っていた。
しかし、平成10(1998)年には、風速70mを超す強風と大雨を伴うサイクロンがインド洋からグジャラット州を襲い、塩田施設は壊滅的な被害を受け、復興まで数年を要することが明らかとなる。そして新たな供給元となったフレンズソルト社は、チョーグレ社と同じくグジャラット州に塩田を保有しており、品質は日本の需要家が満足する水準ではなかったが、ニチメンは、品質管理、生産・出荷状況、ロジスティクスの整備等に協力。
また平成12(2000)年には、日商岩井が出資するダンピアソルト社を含むオーストラリアの主要塩田も大型サイクロンにより大被害を受け、市場は極度にタイト化。これによりインド塩に注目が集まった。ニチメンは、フレンズソルト社の品質が基準を十分満たしていないことを納得してもらった上で日本向けの出荷を開始し、供給元・需要家から大変感謝された。
その後、サイクロンで一度は壊滅したチョーグレソルト社の塩田が見事に生産を再開し、ニチメンはインドにおいて2社の独占輸入権を保有した。インドの塩生産はメキシコ、オーストラリアに続き世界第3位の規模を誇っていた。インド工業塩の輸入の全量を扱うニチメンは、「インド塩のニチメン」として、業界にその存在感を示した。
双日は、これまでの同国における工業塩業界の実績と人脈を基に、2011年にインド・グジャラート州での硫酸カリ肥料・工業塩生産プロジェクトに出資参画している。
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