海外石炭開発のパイオニア
海外各国で大型開発。一般炭も輸入第一号
【原料炭】
1960年代後半、右肩上がりの粗鋼生産を支えたのは大型高炉であり、この操業を可能にするためには、鉄鉱石の重量を支えて還元する堅いコークスの生産が必要であり、優良な低揮発性強粘結炭(LV炭)の確保が必要であった。日商岩井は米国三大LV炭を日商、岩井ともに扱っていたことから「米炭の日商岩井」と呼ばれ、昭和44(1969)年には、米国の炭鉱の開発を、輸銀資金の活用により支援し、同炭鉱から生産された石炭を年180万トン、15年間買い付ける融資買鉱契約を締結した。この商談は輸銀資金の史上初めての米国向け融資であり、大々的に報じられた。
昭和49(1974)年には、日本の製鉄各社とソビエト連邦石炭公団との間で、南ヤクート開発の基本契約が締結され、日綿とともに幹事商社に任命された。またカナダのブリティッシュ・コロンビア(BC)州の強い要請によりブルムース炭鉱の開発が具体化され、日商岩井も資本参加し、昭和56(1981)年に日本のミル向けに15年間の長期契約が締結された。このプロジェクトは、カナダおよびBC州政府からロッキー山脈を貫通する130キロの鉄道と積出港の建設など異例の便宜が図られた。豪州においても、平成元(1989)年にジェリンバー・イースト鉱区の開発に参画し権益を取得している。
【一般炭】
燃料用の石炭である一般炭においては、国内の石炭産業保護のため禁止されていた時代に、いち早く海外の石炭に注目し、昭和49(1974)年に中国一般炭の試験的輸入を国内最大の石炭専焼火力を保有する電源開発向けに成約した。これが日本の一般炭の輸入第一号となった。そして同年、豪州のコールアンドアライド社の一般炭の輸入を開始し、輸入解禁の道を開いた。
その後、豪州では、大型の開発事業に資本参加を行い、また天然ガス開発で大きな実績をつくったインドネシアにおいても、同国政府の要請によりカリマンタン島のブラウ鉱区の探鉱・開発を合弁で行い、1990年代後半よりアジア向けに出荷を開始、現在では年産2,000万トンを超える大型炭鉱に成長している。