フランスの原子燃料を初成約
ウラン精鉱から原子力燃料サイクルへ
日商時代の昭和31(1956)年に第一原子力産業グループ(FAPIG)を組成し、昭和32(1957)年には、FAPIG各社が日本初の商業原子力発電の建設を契約。日商岩井としても原子力産業に注力していた。
燃料分野では、日本同様に燃料資源が乏しく、当時から原子力産業の振興を国策と定めていたためフランスに注目。フランス原子力庁と交渉を進め、昭和45(1970)年にフランス原子力庁と日本の電力会社の間で400トンのウラン精鉱の売買契約を締結。日本ではまだ実績のなかったフランスのウラン精鉱の導入は、日本でも大きく報じられた。
この成約を機に、日商岩井は日本の電力会社にフランスの原子力産業の積極的なPRを開始し、フランス政府もウランの輸出窓口機関として半官半民のウラネックス社を設立し、日商岩井の活動を支援した。その後、電力会社から次々と受注し、「原子燃料の日商岩井」としての地位を高めた。
ウラネックス社は昭和51(1976)年に国策会社コジェマ社に統合され、同社はカナダ、豪州、ニジェール、ガボンなどでウラン鉱山の開発を行うとともに、採鉱、精錬、転換、濃縮、加工、再処理までを一貫して行い、日商岩井はコジェマ社の代理店として、ウラン精鉱や濃縮ウランなど原子燃料の日本向け販売、転換、濃縮、再処理などの役務、またMOX燃料の加工にも関与。コジェマ社は後にAREVA社となり、平成20(2008)年に同社と双日は関西電力と共同でAREVA社がフランス南部ピエールラット市で進めている新規ウラン濃縮工場プロジェクトに参加した。
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