屈辱の居留地貿易

大阪でいち早く直貿易を開始

岩井勝次郎は、大阪から神戸の外国人居留地の商館に通い、その商習慣の不合理さに憤りを感じていた。例えば、商館へ行くと、顧客の立場である買い手にもかかわらず、「商人出入口」と書かれた裏門から入らなければならず、一方の外国人商社は同業者で相談し、一方的な価格を設定し、言い値で引き取らなければならなかった。外国商人に治外法権を与えられる中、理不尽な理由で違約されても日本商人は泣き寝入りする他はなかった。こうした居留地貿易のあり様に日本の地位の低さを痛感した勝次郎は、後にこの屈辱をバネに、国益志向を備えた大商人へと成長していく。


岩井勝次郎は、明治29(1896)年に岩井文助商店から独立して岩井商店を設立。これを機に、居留地貿易を脱して、ロンドンのウィリアム・ダフ商会を代理店として直接取引を始めた。勝次郎は大阪でいち早く直貿易をはじめた一人といわれている。岩井商店が直輸入を開始すると外国人商館は慌て、「直輸入をやめて欲しい。やめなければ今後は取引を停止する」、「直輸入をやめれば岩井が直輸入した場合と同一価格で注文を受ける」などと圧力をかけてきたが、勝次郎は一蹴した。


当時、日本人には輸入信用貸が認められず、前もって現金を払わなければ貨物を引き取れなかった。岩井勝次郎は、横浜正金銀行の高橋是清副頭取と会見し、トラスト・レシートによる輸入貨物引き渡しを日本人にも適用するよう求めた。そして個人商店としてトラスト・レシート方式による直輸入を行ったのは、岩井商店が最初となった。

  • 神戸外国人居留地

  • 岩井勝次郎胸像(トクヤマ徳山製造所内)