海外ブランド導入のパイオニア
マックレガー社と画期的な提携
1960年代、為替は1ドル360円だった。日本企業が米国へ繊維の生地を売りに行くというのが一般的だった時代に、成長しつつある日本でもマックレガーのような高額商品を売ったらどうかとの提言を受け、日綿がマックレガー・ドニガー社とブランドのライセンス契約を締結。昭和38(1963)年、マックレガーが日本に上陸した(輸入は数年前より実施)。
マックレガーは、大正10(1921)年に米国で誕生したブランドである。映画が娯楽の中心となり、シネマファッションが人気となった1950年代、映画『理由なき反抗』でマックレガーの真っ赤なジャンパー「アンチフリーズジャケット」が着用されたと言われている。「フリーザーの中でも耐えられる」という意味から名づけられたこの防寒用スポーツジャケットは、若者の間で大流行した。マックレガー・ドニガー社は、時代のニーズをつかんだ革新的な商品を次々と生み出し、米国国内にとどまらず、日本を含む世界二十数か国にも展開し、世界におけるアメリカンカジュアルブランドとして成長していった。
昭和38(1963)年、マックレガーのすべてのノウハウと日本での商標独占使用権を獲得する契約が成立する。当時は日本の外貨事情が悪かったため、政府当局からの許可を得るのに3年を要した。この提携は、現在でいうブランドビジネスの先駆けであり、当時の業界では画期的な出来事であった。
時代は高度経済成長期。消費者のファッションに対する関心が急激に高まり、カジュアルウェアの概念が無かった当時の日本で、マックレガーは爆発的にヒットした。若者の間ではアイビールックが大流行し、トラッドと呼ばれるスタイルが登場。ジーンズ、Tシャツもこの頃に登場した。こうしたファッション性の高いカジュアルウェアの普及に対応するため、日綿は昭和40(1965)年にニチメン衣料(双日インフィニティの前身)を設立し、本格的なファッションビジネスに進出する。
その後、アメリカ最大のランジェリーメーカーやイタリアン・メンズファッション、英国調高級カジュアルウェアのブランドを次々と企画販売し、カジュアルウェアの総合メーカーとして、アパレル業界で確固たる地位を築いていった。
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