岩井勝次郎のCSR活動①

故郷の小学校の建設に協力

岩井勝次郎の生まれは、現在の京都府亀岡市旭町(当時、旭村)である。「根元を枯らすと枝葉は栄えない」という信条の下、勝次郎は自身の郷土の旭村に熱い感謝の念を抱き、子弟教育や救貧事業への経済的支援にも努めた。


明治39(1906)年、旭村立旭小学校の移転の際、勝次郎は資金提供をし、また昭和3(1928)年に校舎を増築した際にも寄付をしている。現在は、小学校は廃校となり、旭コミュニティーセンターとして市民の憩いの場となっているが、その敷地の中に岩井勝次郎を功績を称える記念碑が現在も残っている。


その碑には下記の言葉が刻まれている。


明治丙午歳南桑之旭村改築郷
校撰地而未成大阪市紳商岩井勝
次郎氏系籍出於該村以故獨力寄
捐乃能成之郷人徳焉欲刻石傅後
郡司皆川惇作之記


「明治39年南桑田郡旭村が小学校を移転、資金の手当てに困っていたところ、旭村出身で大阪に住む高潔な大商人、岩井勝次郎氏から建築費全額の単独提供を受け、この資金で校舎を竣工することができた。村民は大恩を感じ、記念碑にその経緯を彫って後世へ伝える」


また勝次郎は、旭村の生活や文化の振興を目的に明治40(1907)年に慈善財団を設立。生活困難な人の救済、学資の給付、貸与、宗教に関する出版物や社寺保存のための寄付などを行い、終戦まで950人に給付金を支給している。



  • 旭小学校

  • 旭コミュニティーセンター

  • 小学校改築記念碑(現・旭コミュニティーセンター内)