鉄道輸出でシェア50%超

現在でもニューヨーク市民の足として活躍

日商は、昭和31(1956)年に戦後初の鉄道輸出をアルゼンチン向けに成約。東京オリンピックの開催に合わせて新幹線が昭和39(1964)年に開通すると、日本の鉄道輸出の技術が世界的に評価され、日商は南アフリカ、ザンビア、スーダン、モザンビーク、ナイジェリアなどアフリカや新興国向けの初輸出を次々と成約。昭和43(1968)年の日商岩井の輸出シェアは50%を超えた。


鉄道先進国であった米国向け鉄道車両の輸出は絶対に不可能といわれていたが、クレーン車や軌道保守車などの特殊車両や変電所機器などで実績をつくり、昭和54(1979)年にはフィラデルフィア向け路面電車141両を成約、続いて昭和57(1982)年にはニューヨーク地下鉄向け電車325両を納入。ニューヨークの地下鉄は車両6,000両を有する世界最大の地下鉄で、落書き、故障で有名であったが、保守が容易で、落書きもすぐ落とせるなど数々の工夫を凝らして納入に至った。


米国向け成約はその後も相次いだが、当時深刻化していた貿易摩擦に配慮してニューヨーク市郊外に車両製造工場を設立、またブルックリン区の既存の車両工場も利用することで、日米にとって意義のあるプロジェクトに仕立てあげた。日商岩井が納入した地下鉄は現在でもニューヨーク市民の足として活躍している。


平成2(1990)年には、ついに明治期に日本が鉄道の師と仰いだ鉄道発祥の地、英国・ロンドン向けにも納入。シンガポール、台北ほか各国向けとも併せ、日商岩井の鉄道車両部隊は常に業界をリードしてきた。



  • ニューヨーク地下鉄向け出荷

  • ザンビア運輸省向け出荷(1969年)

  • 韓国向け出荷(1968年)