永井幸太郎、貿易庁長官に。1ドル360円を提言

持論のエネルギー政策が吉田茂首相の共感を呼ぶ

昭和21(1946)年末、日商社長の永井幸太郎は吉田首相に呼び出され、持論のエネルギー政策を展開。永井は、敗戦後の産業復興には何よりもエネルギー源が必要であり、それには終戦で余剰しつつあったアメリカの石油を援助あるいは借款で輸入することが焦眉の急であると提言し、吉田茂の共鳴を呼んだ。そして昭和22(1947)年、第三代貿易庁長官に任命された。貿易庁は昭和20(1945)年に商工省の外局として発足し、当初は輸入食糧の統制管理を主目的としていたが、後に全般的な輸出入管理を行うようになった。永井が長官に就任した年には制限付き民間貿易が再開され、永井は政府の要職として貿易を通じた戦後復興に尽力することになる。

 

永井は長官退任直後の昭和24(1949)年1月にGHQからの求めに応じて、単一レートについて意見を具申し、スウェーデンのグスタフ・カッセル教授が購買力平価説を論拠に1ドル400円を主張したが、これは不自然であるとしている。その後、360円に固定されるが、永井は「あの頃、300円くらいでもやっていけなかったとは思うが、一度決めたら永続性があるものでなければならず、ゆとりが必要で360円は適当なところだと思った」と語っている。

 

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