日商

"東洋の魔女"に金メダルを授与した西川政一

日本バレーボール会長、初代日商岩井社長

昭和39(1964)年の東京オリンピックで初めてバレーボールが正式種目となり、日本女子代表"東洋の魔女"は金メダルを獲得したが、その表彰台で涙する12人の選手たちに金メダルを授与したのは日商社長の西川政一であった。

西川は神戸高商時代に排球(バレーボール)を始め、日本代表となる。自宅を事務所に関西排球協会(日本バレーボール協会のルーツ)を結成し、普及活動に奔走。その後、日本バレーボール協会会長に就任した。

西川政一は大正3(1914)年、神戸の鈴木商店に見習いとして入社。支配人西川文蔵の家に泊まりこみ、鈴木商店の奨学金制度を活用して神戸高商に入学した。そして西川文蔵の二女と結婚。結婚式の仲人は日商の創始者である永井幸太郎であったが、披露宴の前日に鈴木商店が破綻し、披露宴は中止されてしまう。西川政一は、日商創業時の出資者でもあり、鈴木商店再起組の一人であった。

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鈴木商店記念館>鈴木系企業の整理の行方>日商(現・双日)の歴史⑧

東京オリンピック金メダル受賞後の報告会の模様(右から3番目が西川)
昭和天皇(最後列左から3番目)とともに観覧する西川(最後列左から4番目)
国際バレーボール協会からの表彰状