日本綿花

尼崎紡績の設立

明治15(1882)年に渋沢栄一らの主唱で大阪紡績が設立されると、阪神地区に数多くの近代的紡績工場が設立された。そんな中で、日本綿花とゆかりの深い紡績会社が尼崎紡績である。同社は、NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデルである広岡浅子の夫、信五郎が、尼崎紡績の初代社長に就任している。そして広岡信五郎は、日本綿花の発起人として名を連ねている。

広岡家発祥の地は尼崎。その尼崎は坂上綿と呼ばれる綿花の栽培地であり、廃藩置県で窮乏している藩士を救うため、紡績工場設立の話が地元有力者の間に持ち上がった。しかし、近代的大規模工場の設立に際しては巨額の資金が必要となり、大阪財界を巻き込んで設立すべきとの結論に至った。

明治22(1889)年、尼崎側28名、大阪側17名が発起人となり尼崎紡績が設立された。大阪側から創立委員会には広岡信五郎、木原忠兵衛、福本元之助、川田斎助、岡田長左衛門の5名が選出され、広岡信五郎が初代社長に就任した。この内、広岡、木原、福本は日本綿花の発起人でもある。

この尼崎紡績は、尼崎地区における大規模工場発展のさきがけといわれており、阪神地区の工業発展のきっかけとなった。

尼崎紡績会社の本社事務所は、現在ユニチカ記念館として創業時の資料なども展示され、広岡信五郎が幹部らと映っている写真も含まれている。

写真は明治33(1900)年。広岡信五郎は当時監査役であり、福本社長の隣に座って写っている。

参考文献:ユニチカ百年史 
     https://www.unitika.co.jp/company/archive01.html
写真協力:ユニチカ株式会社

明治33年、尼崎紡績幹部(赤枠が広岡信五郎監査役)