日本綿花発起人~田中市兵衛と五代友厚との関係②

五代友厚と親交があり、広岡信五郎らとともに日本綿花の発起人となった田中市兵衛。


五代とは、堂島米会所の設立、大阪商法会議所、関西貿易会社、神戸桟橋会社の設立において行動を共にした。五代を中心とした大阪財界グループの筆頭ともいえる。NHK連続テレビ小説「あさが来た」にて登場する五代の下に集まる商人の一人ともいえよう。


田中市兵衛については、ニチメンの社史「ニチメン100年」にて下記のように記載されている。


『田中市兵衛は、明治維新後の文明開化時代に薩摩藩を代表する五代友厚や松方正義、長州藩出身の藤田伝傅三郎、伊藤博文、桂太郎、井上馨らと親交を深め、世界的視野を持っていた。田中市兵衛は生来、人の世話をするのが好きで、頼まれると嫌ということができない性分であった。半面、曲がったことが嫌いで、その性格は、1885年に松本重太郎らとともに阪堺鐡道(株)(現南海電気鉄道)を設立したときに現れた。鉄道線路の敷設に際し、「カーブの少ない一直線にすべきである」と強く主張したというエピソードが残っている。当社の社長に就任した当時、神戸桟橋(株)、大阪商船(株)などの社長を務めており、多忙を極めていたが、断り切れず大任を引き受けた。』

  • 米・取引先と田中市兵衛社長(前列中央)(1898年頃)