ソ連貿易の躍進
石炭、炭素、ガス、石油関連、そして木材
日本の対ソ貿易は、昭和41(1966)年の貿易額6億ドルに対し、昭和50(1975)年には28億ドルと急速に増え、日綿の対ソ貿易額も順調に伸びた。南ヤクート炭プロジェクトの幹事商社になった実績を基盤に急拡大し、商社の中でのシェアも躍進した。
昭和50(1975)年には、ガスパイプライン用大型バルブの受注に成功。これは大型バルブ輸出で日綿が商社ナンバーワンの実績をあげるきっかけとなり、またガス開発分野参入の契機ともなった。ソ連は第10次5カ年計画のなかで、西シベリア地区の石油、ガス開発を最重点プロジェクトに位置付け、日綿は昭和51(1976)年に石油ガス処理プラント(総額720億円)を受注。また、ソ連向けの原油・天然ガスパイプライン用防食テープの輸出開始など物資関連にもビジネスが及んだ。
ソ連石油公団との間では、昭和54(1979)年にアルミ精錬用電極の原料となるピッチコークス(炭素材)の輸出を開始し、一時は、日本のアルミ精錬用電極の70%に匹敵する量を輸出した。その後、製鋼用電極の原料であるニードルコークスの輸出を開始。日綿社内では炭素課を設立し、黒煙製品から炭素繊維などファインカーボン製品まで取扱商品を次第に拡大させ、それらの商売は現在の双日ジェクトの基盤となっている。
またソ連石油公団から重油、ナフサを買い付け、昭和58(1983)年には、ソ連原油の外国間貿易において日本商社で第一位の実績を誇った。また木材ビジネスにおいても、ソ連材の輸入の約10%を占め常に業界トップの座にあった。
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