ナイジェリアに紡績工場

国策事業を支援。日本の紡績技術をアフリカに

昭和38(1963)年、ナイジェリアにアレワ紡績(Arewa Textiles Ltd.)が設立され、昭和40(1965)年4月27日に工場が完成、開所式が行われた。


同社の設立は、日本とナイジェリアとの貿易不均衡を是正することを主眼に、日本の十大紡(当時、日本紡績協会に加盟していた大手紡績10社)が共同出資、技術供与も共同で行った国策的な事業であった。ナイジェリアは昭和35(1960)年に旧英国植民地から独立し、経済の自立を目指して国際収支均衡に取り組んでいた。日本との貿易収支額不均衡の解消策として、同国産品の買付増加を求めてきたのである。


ナイジェリアは綿花産出国であり、日本は綿製品輸入国であったことから、日本政府は、日本紡績協会を通じて日本とナイジェリアとの綿紡績・加工の合弁工場の建設を進める方針を決定。日本側60%、ナイジェリア側40%の出資比率で正式調印され、昭和40(1965)年に工場が完成した。


日綿は、ラゴス事務所を中心に、全社をあげてこの合弁事業推進に協力した。同工場の経営管理や技術指導はすべて日本側が担当。経営は順調に伸び、設備も次々に増強され、ナイジェリア第一の模範工場と言われ、昭和63(1988)年までの25期の決算期中、18期に配当するという好業績であった。


その後、ナイジェリア経済が悪化したこともあり、昭和63(1988)年にはアレワ紡績の株式をナイジェリア政府に譲渡することになったが、日本の紡績技術の移転、日本的経営の確立・指導など、ナイジェリアに大きな足跡を残した事業となった。

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