現・トクヤマの設立
「やり出したらやめない」命懸けのプロジェクト
重要な基礎学品のひとつであるソーダは、日本の産業発展には不可欠なのものであり、岩井商店は明治時代からソーダ灰や苛性ソーダの輸入を手掛けてきた。ところが第一次世界大戦が勃発するとソーダ製品の輸入が激減、岩井ではソーダ製品の国産化の可能性を探るべく、兵庫県神崎の大阪繊維工業株式会社(現・ダイセル)構内に岩井化学実験工業を設立した。そして大正7(1918)年には、すでに工場を建設していた同じ岩井系の大阪鉄板徳山分工場(現・日本製鉄)の隣接地に日本曹達工業(現・トクヤマ)の設立することを決意する。
ソーダ工業は大規模な製造装置を必要とし、莫大な投資が求められたが、勝次郎は社運をかけた大事業としてこれに取り組んだ。ところが反動不況により市況は暴落。テキストどおり製造しても満足な品質が得られなかったものの、勝次郎は「手をつけた以上は、それが鳴かねば鳴くまではおかないというように、やり出したらやめない」とソーダ工場の設備改良のために資金投入を惜しまなかった。そして利益が出るようなるまで、15年の歳月を要した。
トクヤマは、平成30(2018)年に100周年を迎える。勝次郎が手掛けたソーダの製造は現在でも続いている。
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