円高、バブル経済の発生と崩壊

【日綿實業・ニチメン】日綿實業からニチメンへ

繊維比率は11.6%に低下。更なる多角化、そして創立100周年

1950年代から総合商社化を急ピッチに進め、昭和57(1982)年での売上高比率は、金属・燃料34%、機械・建設25.4%、食糧14.4%と続き、伝統の繊維は11.6%にまで低下。創立90周年を控えた1982年、社名を日綿實業からニチメンへと変更した。

1980年代はインドネシアにおける石油化学プラント、製紙プラント、マレーシアにおける肥料プラント、住宅建設プロジェクト、電話網工事、バーレン向けアルミ圧延プラントなど大型プラントの受注が相次いだ。

また、途上国における工業製品の国産化に関する支援としては、タイにおけるディーゼルエンジン製造、インドネシアにおける自動車部品製造、インドにおいてもアルコール製造等の事業を日系パートナーと現地企業との合弁で設立。中国深圳においても、大型染色仕上げ工場を開設し、中国繊維工業の高付加価値化を支援した。

またエネルギー分野でも、ソ連石油輸出公団からの依頼による同国産原油・重油・ナフサの第三国向け販売を開始し、昭和58(1983)年にはソ連原油の外国間貿易による買い付けは日本商社中で第1位の実績をあげた。

昭和48(1973)年には、エアバスの販売代理権を取得して航空機ビジネスに参入。ニチメンの総合商社化に大きく貢献した。

平成3(1991)年に牛肉輸入自由化の方針が決定されると、ニチメンは、米国企業と提携して牛肉取引ビジネスを強化。また豪州のハム・ソーセージメーカーを買収するなど、食肉製品ビジネスに注力した。

そして平成4(1992)年、創立100周年を迎えた。

マレーシア・ビンツル肥料プラント
深圳永新印染厰の工場
創立100周年記念パーティー(1992年11月)