オイルショックと高度経済成長の終焉

【日綿實業・ニチメン/日商岩井】ソ連・南ヤクート炭開発プロジェクト

シベリア開発の先駆け。日ソ経済交流に貢献

1960年代に入ると、日ソ間の経済交流の機運が高まり、昭和41(1966)年には「日ソ経済合同委員会」がスタート。官民をあげて日ソ両国間の経済交流にかかわる具体的なプロジェクトの可能性が討議され、シベリア南部の南ヤクート炭プロジェクトが最重要案件としてとりあげられた。南ヤクートは現在のロシア連邦サハ共和国に位置する。

当時、日本の鉄鋼業界は、大部分の原料炭を米国、オーストラリア、カナダからの輸入に頼っていたため、将来の鉄鋼増産に備えて新たな原料炭の開発・確保が急がれていた。南ヤクート炭は埋蔵量400億トンと推定され、積み出し港のナホトカまでの内陸輸送距離が比較的短いなど有望な炭鉱であったが、10億ドル以上の巨額資金が必要なため、官民をあげたナショナル・プロジェクトとなった。

日綿は、構想段階から積極的な役割を果し、昭和46(1971)年に日商岩井と共に幹事商社に指名され、ソ連の関係機関と日本の鉄鋼業界などとのパイプ役を遂行。昭和49(1974)年、ソ連対し設備、機械、資材ならびにバンクローンを提供し、昭和54(1979)年~63(1988)年まで合計1億440万トンの原料炭を対日供給する基本契約に締結した。

このヤクート炭プロジェクトは、日本の協力によるシベリア開発の先駆けとなり、プロジェクト進行に伴い、巨額の関連機械プラント、物資などの対ソ連輸出が実現した。

ソ連・南ヤクート・ネリュングリ鉱床での技術調査団(1970年)
南ヤクート炭田開山式
南ヤクート炭開発作業現場