【日綿實業・ニチメン】日立造船の水中翼船PT-20

1960年代に入って日立造船と業務提携し、水中翼船を販売した。当時、水中翼船は日本では珍しかったが、観光ブームでスピードの速い水中翼船の需要が増大するとみて、日綿は、水中翼船の世界的メーカー、スイス・シュプラマル社の技術に着目、日立造船にあっせんして1960年10月、シュプラマル社と日立造船は技術提携した。翌年9月、日綿、日立造船、三和銀行の3社共同出資により「日立造船水中翼船販売株式会社」を設立した。
国内の観光業者や内航会社から相次いで注文が舞い込み、水中翼船ブームとなった。1962年4月に第一号船「大鵬丸」(75人乗り)が完成、名古屋・鳥羽・蒲郡間の定期観光航路に就航したのを皮切りに、東京湾、瀬戸内海、琵琶湖などの観光船として次々に建造された。
さらに1964年から1966年まで香港へ大型水中翼船(70~130人乗り)を輸出し、香港・マカオ間の観光船として香港名物のひとつになったのをはじめ、東南アジアなどにも輸出した。1962年から1980年までに日立造船が建造した水中翼船は計51隻にものぼった。
国内の観光業者や内航会社から相次いで注文が舞い込み、水中翼船ブームとなった。1962年4月に第一号船「大鵬丸」(75人乗り)が完成、名古屋・鳥羽・蒲郡間の定期観光航路に就航したのを皮切りに、東京湾、瀬戸内海、琵琶湖などの観光船として次々に建造された。
さらに1964年から1966年まで香港へ大型水中翼船(70~130人乗り)を輸出し、香港・マカオ間の観光船として香港名物のひとつになったのをはじめ、東南アジアなどにも輸出した。1962年から1980年までに日立造船が建造した水中翼船は計51隻にものぼった。