【日綿實業・ニチメン】北海鋼業(1955年)

八幡製鉄所に続き1963年に富士製鐵、1965年に日本鋼管の指定問屋になるなど、鉄鋼分野で着実に勢力を拡大した。
1964年には北海道小樽市に本社をおく電炉メーカー、北海鋼業に役員を派遣した。同社は1936年、地元の鋼鉄問屋、前堀商店が設立した伸鉄と鉄鋼の2次メーカーで、戦時中は小型電気炉を備えて、鉱山機械などの鋳鋼鋳物を精算した。戦後は伸鉄圧延を強化していたが、1961年に日綿が10トン電炉を納入したことが契機になって、北海道内のスクラップを原料に、鉄筋コンクリート用棒鋼を生産する横棒一貫メーカーとなった。同年、富士製鐵が資本参加、つづいて1965年日綿に資本参加、両社の系列会社として再出発した。
さらに、1965年2月、非鉄金属鋼材の有力問屋、高橋愛次商店と業務提携して、鉄鋼商権の多角化をはかった。
1964年には北海道小樽市に本社をおく電炉メーカー、北海鋼業に役員を派遣した。同社は1936年、地元の鋼鉄問屋、前堀商店が設立した伸鉄と鉄鋼の2次メーカーで、戦時中は小型電気炉を備えて、鉱山機械などの鋳鋼鋳物を精算した。戦後は伸鉄圧延を強化していたが、1961年に日綿が10トン電炉を納入したことが契機になって、北海道内のスクラップを原料に、鉄筋コンクリート用棒鋼を生産する横棒一貫メーカーとなった。同年、富士製鐵が資本参加、つづいて1965年日綿に資本参加、両社の系列会社として再出発した。
さらに、1965年2月、非鉄金属鋼材の有力問屋、高橋愛次商店と業務提携して、鉄鋼商権の多角化をはかった。