日本綿花

インド綿調査団の派遣~渋沢栄一、大隈重信が動く

明治15(1882)年に、渋沢栄一らが主唱して大阪紡績(現・東洋紡)が設立されると、原料である綿花を中国やインドからに頼らなければならなくなった。しかし、政府は日本の綿花産業保護のために輸入関税を課しており、紡績業界は明治21(1888)年に、紡績連合会を結成。同会相談役の渋沢栄一を通じて、政府に綿花輸入税撤廃を訴えた。

さらに渋沢栄一は、大隈重信外務大臣に働きかけ、政府は明治22(1889)年に、佐野常樹農商務書記官を政府代表として綿花調査団をインドに派遣することを決定。

尚、NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公である広岡浅子の夫・信五郎が、尼崎紡績社長に就任したのも同じ明治22(1889)年。広岡信五郎もインド産綿花輸入の調達と関税撤廃の必要性を感じていたに違いない。

佐野常樹らの調査もあり、インド綿の輸入が本格化され、明治25(1892)年にはインド綿が国内総需要の49%を占めるようになる。しかし、大阪紡績の株主が中心となって設立された内外綿会社と、一部の外国商館がインド綿の輸入を独占したため、広岡信五郎ら紡績会社の幹部は反発。

こうして日本人による綿花の独自調達の必要性が叫ばれ、明治25(1892)年に、日本綿花株式会社が設立される。広岡信五郎ら紡績会社の幹部や大阪商人が発起人となり、初代社長にはインド綿花調査団のトップであった佐野常樹が推挙された。

渋沢栄一
大隈重信
佐野常樹