私の道は、私がつくる。
田森りら/双日ブラジル会社 社長
2025.12.25
幼少期の5歳から8歳までは、父の仕事の関係でジンバブエで過ごしました。到着した翌日から現地の学校に通うことになったのですが、英語がまったくわからず、最初の二週間は毎日泣いていました。それでも、わからないなりに耳を澄ませ、必死に言葉を理解しようとした経験が、今の私の「聞く力」につながっていると感じています。その後、日本で短期間生活し、10歳から16歳まではブラジル・リオデジャネイロのアメリカンスクールに通いました。国籍も文化も異なる仲間と議論し、チームで動く中で、「違う前提を持つ人とどう歩み寄るか」を学びました。多様な価値観に囲まれた環境が、柔軟な考え方と強い行動力を育ててくれたと思います。高校の途中で日本に帰国した時は、日本語力や受験の仕組みへの対応に苦労しましたが、限られた時間の中で自身の強みと弱みを分析・把握し、計画を立てて目標に向かうことを実践しました。大学では、「これまでの海外含めた経験をどう社会で活かすか」をつねに考えていました。
社会人としてのスタートは、日系の航空会社でした。国際空港での旅客業務を経て、企業向けの法人営業を担当しました。顧客企業と、ロンドン・ニューヨーク・香港・東京の4拠点を束ねるグローバルな商談を重ねる中で、世界を相手にする仕事のダイナミズムを実感しました。その後は、国際線の発着調整業務に携わり、各航空会社の発着枠(スロット)を管理する業務を担いました。空港の現場から法人営業、そして航空会社の商品価値に不可欠な発着枠の調整まで、航空会社での9年間は私にとって「ビジネスの基礎体力」を磨く時間であり、また素晴らしい仲間とも出会えました。そして次第に、「世の中へ新たな価値を提供する事業そのものを生み出す側に立ちたい」「自分の経験をより広いフィールドで活かしたい」という思いが強くなり、総合商社である双日に転職することを決めました。
入社直後に担当したのは、双日が保有するポルトガルのタングステン鉱山の投資管理でした。資源の仕事も投資も初めてでしたが、先輩の指導の下で一から学ぶことができました。その先輩は、のちに双日ブラジル会社の社長となり、時を経て、今回私がその後を継ぐことになったのですが、思えば、その先輩の「前向きに現場で学ぶ姿勢」が、私の仕事観の土台になっていると感じます。机上ではなく、実務の中で考え動きながら答えを見つけていく。そのスタイルは私の中に自然と受け継がれ、今の自分につながっています。また、双日には豪快でエネルギッシュな人が多く、仕事に対して妥協しない姿勢に圧倒されながらも刺激を受けました。当時はまだ女性総合職が少ない時代でしたが、「だからこそ、自分のやり方でやろう」と心に決め、良いと思うことは真似、違うと思うことは、自分らしく成果を出すことを意識しました。その姿勢は、のちに多様な環境で働く上での大きな強みになりました。
タングステン鉱山事業の後は、ブラジルのCBMMという企業と共にニオブ事業を推進しました。ニオブは、鉄鋼に少量加えることで鋼材を強く・強靭にする用途が多く、自動車や建築、パイプラインといった分野で広く使われています。そればかりでなく、耐熱合金として航空機エンジンに使われたり、電子機器向けコンデンサや超伝導材料として医療・エネルギー分野でも利用される重要なレアメタルです。世界の生産の大半をブラジルが担い、CBMMはそのトップ企業です。双日は、 CBMMが生産するニオブ製品の日本市場向け代理店であるとともに、CBMM への出資も行っています。私は、このニオブ事業を所掌している合金鉄課の課長として、売り手であるCBMM、および買い手である鉄鋼メーカーの戦略にまで深く関与することで、両社との信頼関係を築いてきました。ニオブはMRI(磁気共鳴画像法)や光学レンズなど、さまざまな用途に活用されていますが、近年では特にリチウムイオン電池に使用される材料としても注目度が高まっており、当時から長期的な視点でニオブの可能性を模索していたことが実際のビジネスに繋がろうとしています。こうした開発には時間がかかります。だからこそ、パートナーとの間で価値観や時間軸を丁寧にすり合わせ、同じ方向を向いて進むことの大切さを学びました。
CBMM、双日、および日本の顧客とのパートナーシップは50周年を迎えました。長年にわたって信頼関係が続いてきたのは、時代ごとの担当者や顧客、関係者一人ひとりの誠実な仕事の積み重ねがあったからこそです。この経験を通して、「事業をつくる力」と「人をつなぐ力」は切り離せないものだと実感しました。どんなビジネスも、人と人との議論を通した組織で成り立っている。その原点を改めて感じました。
金属関係の事業に従事した後、人事部に異動しました。採用課の課長として採用の現場で多くの候補者と向き合う中で、人は環境やコミュニケーションひとつで大きく動き出す力を持っていると実感しました。面接では、一人ひとりの価値観に耳を澄ませながら、「この人がどう成長できるか」を想像し、会社として何を提供できるのかを丁寧に伝える必要があります。こうした経験を通じて、人の成長を支えることの喜びを知ると同時に、「人が強くなることが組織の力になる」ということを改めて学びました。
その後は、当社の投資先であるペルーの医療物流会社SALOG S.A.に出向し、新規案件開発の担当役員として業務を推進しました。SALOGは、社会保険庁との公民連携契約の下、リマ首都圏の約60の医療機関に医薬品を保管・配送する会社です。高齢者や慢性疾患を持つ方に薬を届ける「ラストマイル」物流にも取り組みました。医薬品に関する経験はまったくなく、さらに現地では言葉も文化も仕事の進め方も異なり、最初は戸惑うことも多くありました。それでも、経営陣と何度も対話を重ねるうちに、次第に「10年後にこの会社をどうしていくか」という未来の姿を共有できるようになりました。文化の壁を越えるには、時間と粘り強い対話が何より大切です。多様な環境の中でも自分らしさを失わずに、相手を理解しようとする姿勢こそが、信頼の出発点だと改めて実感しました。
私自身、新しい挑戦の前には不安が半分あります。しかし、一歩踏み出すたびに、過去の経験が必ず支えになってくれます。航空会社ではビジネスの基本を教わり、双日入社後の金属関連事業では商社として事業を推進するための戦略づくりや多くの関係者を巻き込む強い推進力が必要であること、人事では成長のための人と組織のあり方を学びました。その一つひとつがペルーでの行動に結びつき、自分の成長を確かなものにしてくれました。
2025年11月、私は双日ブラジル会社の社長に就任しました。ナショナルスタッフと駐在員を合わせて約45名、長い歴史と経験豊富な人材を持つ会社です。まずは、これまで築いてきたパートナーシップを大切にしながら、今ある事業を丁寧に磨いていきたいと考えています。同時に、新しい事業にも挑戦します。日本との連携にとどまらず、北米・中米・南米に広がる双日の拠点をつなぎ、地域全体に価値を届けるプロジェクトを形にしたいと考えています。ペルーで学んだ「未来を見据える視点」を、双日ブラジル会社でも生かしていきたいです。そして何よりも、人材育成が重要です。社員一人ひとりが自信を持ち、次の挑戦に踏み出せる環境を強化したいと思っています。人事部で学んだ「人の成長が組織の力になる」という考えを、今度は経営の現場で実践していきます。
これまでのキャリアを振り返ると、まさに挑戦の連続でした。苦難や困難も多くありましたが、だからこそ、その度に自分の中身が磨かれ、視野が広がっていったと感じています。どんな場所にいても、自分の想いを大切にすること。相手の話を最後まで聞くこと。違いを越えて、同じ未来を見つめること。その積み重ねが、次の私をつくっていく。これまでの経験が一本の道になった今、その道をさらに太く、長く、そしてしなやかに伸ばしていきたい。きっとそれが、私にとっての「次の進化」だと思っています。


