時代でみる歴史

開国、創業へ

ペリー来航により日本は約200年ぶりに貿易を再開し、大阪では岩井商店、神戸では鈴木商店が開業。海外の先端商品に触れ、世界の産業革命から取り残された日本の立ち位置を知った両社は、産業を興して日本の地位を高めようと決意する。また官主導で始まった紡績業は日本の最大産業に成長。その原料を外国人商社に頼らず調達しようと大阪の商人が立ち上がり、日本綿花が設立される。双日の先人たちは常に国益を第一に行動していた。

明治・大正の産業革命期

日本は、日清・日露戦争を経て軽工業から重化学工業へと移行。第一次世界大戦時には大量の注文が日本に流れ込み、日本の産業革命は一気に加速する。日本綿花は日本の紡績業に対して綿花の調達、そして製品輸出の面で貢献。岩井商店は輸入品の国産化構想を進め、後に最勝会とよばれる製造事業群を設立。鈴木商店は80もの事業会社を設立し、日本一の総合商社へと急成長する。今日にまでつながる日本の貿易立国の礎作りに貢献した。

昭和金融恐慌、世界大恐慌へ

大戦が終結すると反動不況が襲い、その後、関東大震災など環境の悪化が続き、昭和恐慌のさ中、鈴木商店は破綻。そして鈴木商店の残党組39名が日商を設立する。その後、世界大恐慌が襲い日本綿花も減資を迫られ経営を立て直す。岩井商店は、岩井勝次郎の禅の精神による手堅い経営により、これらの苦境をなんとか乗り切った。

戦後復興、高度経済成長へ

終戦後、商社はすぐに貿易の再開に備えた。渡航が制限される中、いち早く戦前の取引先を回り、貿易を通じて戦後復興への貢献を果していく。高度経済成長が始まると鉄鉱石などの原料、そして原子力を含むエネルギーの確保が商社に求められ、一方で日本製品の海外市場開拓に奔走。高度経済成長による需要の拡大は航空機、ガソリンスタンド、ファッション、住宅、木材、合成樹脂、リースなどビジネス領域拡大の好機となった。

オイルショックと高度経済成長の終焉

オイルショックを機にエネルギー安定確保への期待が高まり、LNG、石炭、原子力ビジネスを拡大。またオイルマネーで潤う中東を中心にプラント・インフラ関連輸出ブームが起きる。中国・ソ連・ポーランドなどの共産諸国とは政府間の交渉においても主導的な役割を果し、ナショナルプロジェクトにも積極的に関与した。また資本の自由化により、外資との合弁による日本でのビジネス展開も活発化した。

円高、バブル経済の発生と崩壊

プラザ合意以降の円高は、日本企業の海外進出を加速した。商社は、それら日系企業とともに生産拠点の海外移転を進め、現地生産による現地雇用の確保に努めた。ベトナムでは、ベトナム戦争後に日本企業として初めて駐在員事務所を設立し、国家建設に積極的に貢献。ブラジル、アンゴラなど産油国に対する開発資金の融資を行うなど、日本だけではなくグローバルな価値の創造をより追求するようになった。

グローバル化時代の加速

2001年に中国がWTOに加盟し、その後BRICsをはじめとする新興国が急成長。資源価格は高騰し、食料を含むさまざまな資源の争奪戦が起こるようになり、資源確保は商社にとって大きな社会的使命となった。また新興国では富裕層・中間層の拡大とともに自動車などの消費市場が拡大、電力・鉄道などのインフラ・ニーズも高まった。さらには環境意識の高まりから、再生可能エネルギーなど新たなビジネス領域も誕生した。