2025.12.24 UP
将来の夢は何ですか? 幼いころは無邪気に答えていたこの質問に、いつのころからか、うまく言葉にできなくなっている人も多いかもしれません。
働き方に迷い、生き方を模索し続けるなかで、そんな問いを自分自身に投げかけてきたひとりが、西埜将世さんです。馬の力を借り、伐採した木を森林から運び出す“馬搬”。自然や馬と共存するこの仕事のあり方は、西埜さんにとって30歳で初めて出会えた“夢”でした。
西埜さんはどのようにして進むべき道を見つけ、現在に至ったのでしょうか。北海道・厚真町にある「西埜馬搬」を訪ね、話を聞きました。
Text_Interview_Hajime Oishi
Photograph_Atsushi Ito
Edit_Shoichi Yamamoto
“卒業後は自然に関わる仕事に就きたかった。
放送関係を3、4社受けたけど、全部落ちた。”
西埜さんは1980年、北海道・恵庭市生まれ。馬とともに森の中で汗を流す西埜さんの原点は、郊外に住む祖父母の暮らしにありました。
「じいちゃん、ばあちゃんの家は農家で、馬や豚、ニワトリを飼っていました。馬で耕したり手で田植えしたり、大変そうだったけど、人と人との結びつきが強くて楽しそうだと思ったのを覚えています」

幼少期の西埜さんはひとりで家にいるのが好きで、「とにかく主体的じゃなかった」と言います。高校は地元の進学校に“何となく”進み、大学への進学にあたっては「同級生もみんな大学に行くし、自分も行こうかな」という感覚だったそうです。
森林に関わる分野に興味を持ち、岩手大学農学部に進学。そこで、野生動物の研究をする教授との出会いでニホンザルの研究に携わるようになります。
「野生動物の研究はワクワクした」と話す一方で、大学院に進学して研究者を志すほどの熱意はなく、「自分が何をやって生きていきたいのかわかっていなかった」と当時を振り返ります。
「卒業後はなんとなく自然に関わる仕事に就きたかったのですが、どこを受けるかが定まらなくて。大学時代のアルバイトでテレビ番組の山岳撮影を手伝ったのが楽しかったから、ダメもとで放送関係を3、4社受けたんですけど、全部落ちて」
就職先が決まらないまま大学を卒業し、ハローワークに通う日々が始まりました。
「大学まではレールに乗っている感じがあったんです。現役で国立大学に入学して。でも今は無職でハローワークに行っている。レールから外れ始めているという不安がありました。自分だけが取り残されているような、孤独をすごく感じていました」
“やりがいもあって楽しかったけど、
漠然とした不安がいつもあった。”
やりたいことの方向性はぼんやり見えている。けれど、それが仕事や職業として像を結ばないモヤモヤで焦りや不安をつのらせる日々。大学卒業後の1年間をアルバイト生活で過ごしていた西埜さんに、最初の転機が訪れます。
自然学校を運営している登別市のNPO法人に就職が決まるのです。

そこでは自然体験プログラムやプレーパーク(自発的に遊び、創造性を育む場)の業務を担当し、在籍期間は4年に及びました。
「自然学校には面白い人たちが集まっていました。やりがいもあったし、いい仲間や上司もいて、コミュニティ自体が楽しかった。でも、収入には漠然とした不安もあって、この先どうなっていくんだろうという思いがありました」
やりがいを取るか、収入を取るか。再び岐路に立たされた西埜さんは、結婚を機に林業会社に転職。26歳のときでした。「前向きな転職というよりは、選択肢がなかった」と当時の胸中を明かします。
「最初はとにかく辛かったです。チェーンソーを持って山の中を歩くだけでも大変なのに、木を切るのも怖いし、体力的にもきついし。同じ年くらいの先輩に『大学まで出てるのにこんな木の種類もわからないのか』と笑われたり。仕事ができないと厳しく叱られるし、辛かったですね」
“方向性はわかっている気がした。
でも選択するギリギリまでイメージできなかった。”
生活のために選んだ林業会社への転職でしたが、自分の居場所を見出すことができない日々。「最初の半年間は毎日辞めたいと思っていました」と言う西埜さんですが、仕事には真摯に向き合い続けました。
入社後2年ほどが経過すると、次第に大きな仕事も任せられるようになります。仕事に慣れ、働きぶりが評価される一方で、重機を使い、効率を重視して森を切り開いていく“林業”のあり方に、次第に違和感が膨らんでいきました。
「できるようになってくると、林業って面白いなと思うようになってきたんです。でも、どこか工事現場のようだなという思いがありました。もっと“森の環境を良くする”ようなこと、違うやり方はないのかなと、ぼんやりと考えていました」
西埜さんは漠然と、林業のあり方、自身の生き方を模索するようになります。

西埜さんが“馬搬”の存在を知ったのはそのころ。自然学校時代に世話になった上司から「観光牧場で馬搬の仕事をしてみないか?」と声をかけられたのがきっかけでした。当時30歳、東日本大震災の直後のことです。
「そのとき初めて、馬が木を引っ張る映像を見たんです。とても静かで、聞こえるのは、馬が歩く音と鎖の音だけ。林業現場でこんな静かなことってあるんだと驚きました。馬の姿も景色も、とにかく綺麗で、『これはやってみたい』と、心からワクワクしました」
そうして西埜さんは、林業会社を辞める決断をします。
馬搬は西埜さんにとって、生まれて初めて持つことができた夢でした。ところが――。
「馬搬をやってほしいと呼ばれて、決心して家族で引っ越して転職したんです。でも、思った以上に環境が整っていなくて。最初の1年半は馬もいなかった。馬が来てからは楽しくなったけど、会社員としての仕事もいろいろあって、正直大変でした」
生活と仕事、自分の生き方と家庭。その狭間で迷い、葛藤しながらも、淡々と働き続けました。西埜さんにとって20代から30代にかけての時間は、“自分の居場所”や“自分の生き方”を求めて将来を模索する日々でした。
“「うまくいくかな?」と毎回緊張する。
その緊張感も含めて、面白さを感じる。”
牧場での馬搬の仕事も増えてきた37歳のとき、西埜さんは独立を決意し、「西埜馬搬」を立ち上げます。背中を押したのは、北海道厚真町でできた新しい制度でした。
「起業を支援する制度が始まったんです。ちょうどその頃、“自分の家で馬を飼って馬搬をしたい”と思い始めていた時期だったので、ワクワクしました」
牧場には仲間がいて、馬搬の仕事も続けられる。環境としては決して悪くありません。独立するか、牧場に居続けるか――。
「相当悩みました。でも最後は“どちらが心の底からワクワクできるか”を自分に問い続けて決めました」
西埜さんが選んだのは、効率や安定よりも、“森とどう向き合っていたいか”を軸にした働き方でした。

馬搬の現場も取材。淡々と、丁寧に仕事をこなす西埜さんが印象的だった
重機の入りづらい山や森に、馬と一緒に分け入り、どの木を、どんな順番で、どの方向に倒し、どう運び出すのか。1本1本の木と丁寧に向き合いながら進めていくのが、西埜さんの馬搬です。
一般的な林業の現場では、“1列の木をまとめて切る”といった効率を優先した作業が多く見られます。それに比べると、馬搬は決して効率のいい方法とは言えません。それでも、西埜さんは馬搬という仕事について、こう話してくれました。
「森って、日光を求めて3次元になっているんです。馬搬は、森をデザインする感覚に近い。1本の木を切ったら日光の入り方が変わって、隣の木が喜んでいる感じがするんです。
森を手入れしていく感覚です。現場は毎回違うし、木の枝ぶりも倒す方向も全部違うから、いつも『うまくいくかな』と緊張するんですけど、その緊張感も含めて、面白さを感じています」

西埜さんは「僕は鈍感なので馬の気持ちはわからないけれど、喋ってくれないからこそ、
こちらから察しないといけないときもあります」と、カップに優しいまなざしを向ける

現場に同行したポニーのハスポン。
一頭だけで現場に出ると、「どうして自分だけ働かなきゃいけないのか」と馬が機嫌を損ねることがあるため、仲良しの馬を同行させる
その仕事をともに担っているのが、馬たちです。
現在、西埜馬搬で働いているのは、元競走馬のカップをはじめ、4頭の馬たち。競走馬は食肉用にされることも多く、カップも本来であればその運命をたどる可能性がありました。
「カップは本当によく働いてくれるし、人に感動も与えてくれます。結果的に競走馬のセカンドキャリア、別の選択肢をつくることにもなったんだなと感じています」
森の中で作業する西埜さんとカップの間には、職人同士のあうんの呼吸があります。そこには人と動物が自然のなかで調和する、静かな営みがありました。
“自分が本当にやりたいことって、
そんな簡単にはわからないもの。”
誰もが自分の進むべき道を見つけられるわけではありません。西埜さんもまた、幾度となく壁にぶつかり、回り道をしながら、自分の居場所を探し続けてきたひとりです。
「本当にこれをやりたいのか、自分がやるべき仕事はこれなのかと常に考え続けていたと思います」
大学を卒業してすぐに“レールから外れた“と感じ、模索と葛藤の日々を乗り越えてきた現在、その紆余曲折をこう振り返ります。
「自分が本当にやりたいことって、そんな簡単にはわからないものだと思うんです。
自然学校や観光牧場で、好きなことに熱中して、生き生きとやっている人たちと出会って、『こんな生き方もあるんだ!』と驚きました。会社で働いたり、役所に勤めたりする以外にも選択肢はあるし、今は存在しない仕事でも、選択肢は“つくれる“。これって、大人になることの楽しみだと思います」

迷ったときは「どちらが心の底からワクワクできるか」を考え抜いて判断してきたと言う西埜さん。
「頭を柔らかくしていたいんです。いろんな価値観の人に出会うし、自分も他人も変わっていく。影響を受けあうのも大事だし、つながっていくのも面白い。自分の心に従うのが大切なのかなと思います。
いろんな生き方があるし、“こんな生き方もいいよな”って思ってもらえたら。僕も、そういうことを伝えられたら嬉しいです」
人生の選択肢は、決して誰かに与えられるものだけではありません。やりたいことがわからなかったり、将来に不安を抱えたり、ときには失敗すること、後悔することもあるかもしれない。
迷いや葛藤、モヤモヤを抱えながらも、自分の思いに耳を傾けて生きてきた西埜さんの姿は、とても生き生きとしていました。

(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

西埜将世
馬搬林業家/西埜馬搬 代表
caravanは双日が発信しているメディアです。
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