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2025.05.13 UP

落語家・桂宮治が語る。遠回りした先で見つけた、人生をかける場所

article_44_img01.webpテレビ番組『笑点』の大喜利メンバーとして知られ、多忙な日々を送る人気落語家・桂宮治さん。その道のりは決して平坦なものではありませんでした。落語家の道を志したのは30歳のとき。“自分らしい生き方”が見つからず、模索を続ける中で、ひょんなことから出会ったのが落語でした。

現在ではすっかりお茶の間の人気者となった宮治さんですが、「今でも劣等感の塊なんです」と、意外な言葉を口にします。そんな宮治さんは劣等感とどのように折り合いをつけ、“自分らしい生き方”を見つけてきたのでしょうか。

そこにはたくさんの遠回りをしてきた宮治さんならではの、力強くてユニークな人生哲学がありました。

Text_Interview_Hajime Oishi
Photograph_Tatsuya Hirota
Edit_Shoichi Yamamoto

人の顔色ばかりうかがい、将来のビジョンもなかった20代

“まず褒められたことがなかった。
僕は昔から劣等感しかないんですよ。”

人気落語家として老若男女を笑顔にしている桂宮治さんですが、幼少時代から人見知りだったと言います。

「子どものころは、とにかく家を出るのが大嫌いでした。人と一緒にいるのが得意じゃなくて、人の顔色をうかがいながら生きてきたんですよ。『この人、今どんなことを考えてるのかな?』と考えてしまう。だったら人といないほうが楽なんです」

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憧れはザ・ドリフターズ。「舞台の上に立って人に喜んでもらう」ことを夢見て高校卒業後は俳優養成所に入り、舞台俳優への道を歩み始めます。ところが……。

「向いてないなって思いました。緊張のあまり、最初の公演では顔がずっと引きつっててね。いろんな公演にも出させてもらいましたけども、まず褒められたことがなかった。

僕は昔から劣等感しかないんですよ。勉強はできない、スポーツもできない、足が速いわけでもない。お芝居も一緒でした。養成所にはすごい人たちがいっぱいいて、僕なんか努力する才能すらない。怠け癖もあるし、本当に何もできなかったんです」

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そんな宮治さんを優しく支えてくれたのが、シングルマザーとして宮治さんを育て上げた母の存在でした。

「うちの母親は『何でもやりなさい、応援するよ』と言ってくれる人でした。ただ、人に迷惑をかけることには厳しくて『何をやってもいいけど、悪いことをするなら家の中で堂々と、親の目の前でやりなさい』って言われてました。挨拶や礼儀、立ち居振る舞いについても、何から何まで教えられました」

「将来のビジョンなんて何もなかった」という20代。芝居は楽しかったけれど舞台俳優として生きていけるとは思ってもいなかったと言います。そんなとき、借金をしながら芝居を続けていた宮治さんに、先輩が「向いてる仕事があると思うからやってみない?」と紹介してくれたのが化粧品の実演販売の仕事でした。

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高校卒業後から現在も宮治さんが暮らす戸越銀座の駅前(左)。
商店街にあるカラオケ店から武蔵小山のアーケード、林試の森公園(右)がいつもの稽古コース

ようやく出会えた“一番”になれるもの。しかし……

“実演販売はやればやるだけ売れて楽しかった。
でも疑問が芽生えてきちゃって。”

軽妙なトークで目の前の客に商品を売る実演販売。その世界で宮治さんの才能は一気に開花します。

「実演販売はひとり舞台みたいなもの。自分で作ったセリフやストーリーをお客さんに聞いてもらって、商品を買ってもらう。そしてメーカーの人たちに喜んでもらえる。頑張れば結果が出るのが楽しくてね。

小さいころから何をやっても認められなかったんですけど、化粧品の実演販売では結果が出た。たぶん、子どものころから人のことばかり考えてきた、その積み重ねというか、引き出しが役に立ったんだと思います」

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劣等感を抱え続けた人生の中で、ようやく一番になれるものに出会えた——「『俺にもできることがあるじゃん!』という自己肯定感と高揚感があった」と宮治さんは語ります。

一方で、心の奥には少しずつ、ある疑問と葛藤が芽生え始めていました。

「実演販売って、たった数十分で僕を信用してもらって商品を買ってもらう。やればやるだけ売れていくし、最初は楽しかったんですよ。でも何年もやっていると、『僕とその日出会った人たちは、本当に幸せな気持ちで帰っていったのかな?』という疑問が芽生えてきちゃって。

『あの兄ちゃんに会わなかったら、今日この商品を買う必要はなかった』って何人の人が思ってるのかなと考えるようになってしまった。それで仕事に行くのがつらくなってきちゃったんですよ」

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歴代の売上記録を塗り替え、“業界にこの人あり”と称されるほどになっていた宮治さん。生活のために辞めることは考えていなかったと言いますが、無理をして仕事に行く日々が続きました。そんな宮治さんの背中を押してくれたのが、のちに妻となる明日香さんの「もっと自分が笑顔になれる仕事をしたら?」という言葉でした。

逃げ続けた30年。“落語”との出会いで何が変わったのか

“「死ぬまでここで戦うんだ」と思える場所を
見つけられたことが本当に嬉しかった”

宮治さんのもとに、人生を変えるきっかけがやってきます。

「芝居の才能がないのもわかっているし、『ひとりでできる芸能って何かな?』と思って、たまたまYouTubeで枝雀師匠の落語を観たんですよ。

もう、あまりにも衝撃的すぎて。人前でひとりで喋っているわけで、やっていることは実演販売と一緒なんです。でも、枝雀師匠の場合はみんな泣いて笑って『枝雀さんに会えてよかった!ありがとう』と喜んでいる。僕は何をやってるんだろうと思って。落語なんてそれまで観たこともなかったんですけど、もうこれしかないと思ってしまって」

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決意を固めた宮治さんは実演販売を辞め、半年後には落語界に入門します。弟子入りを志願したのは、国立演芸場の舞台に上がる姿を見て「全身に電気が走ったような感じがした」という桂伸治さん。厳しい修行期間は数年に及びました。宮治さんも「最初のころは本当に大変でした」と言います。

「楽屋のルールはわからないことだらけだし、先輩から怒られたり怒鳴られたりしますからね。それでも人生で初めて真剣にやらなきゃいけないこと、逃げちゃいけないことを見つけられた喜びのほうが大きかった。『ずっとここにいるんだ、死ぬまでここで戦うんだ』って場所を見つけられたことが本当に嬉しかったんです」

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取材時に再現してもらった稽古の様子

とはいえ、落語家として大成することができるのか、何の保証もない世界。将来に不安は感じることはなかったのでしょうか?

「いや、もう逃げられなかったんですよ。“やっていけるか、いけないか”じゃなくて、やっていかなきゃいけなかった。僕は30年間逃げ続けて、いろんな人の助けがあって、ようやくこの場所にたどり着くことができたんです。

あと、師匠とカミさんの存在は大きかったですよね。師匠の顔に泥を塗ることはできないし、僕を弟子に取ってよかったなと思ってもらいたい。いい加減な気持ちで噺家をやめることはできないと思っていました」

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2021年2月には、寄席でトリを務める資格を持つ“真打”に昇進。2022年1月にはテレビ番組『笑点』の大喜利メンバーに抜擢され、その人気はお茶の間にも広がっていきました。

「自分でも落語家が向いてると思ったこともないですし、今も劣等感しかないんです。でも、ダメな僕がなぜ今ここまで来られたのかというと、それは生まれてから噺家になるまでの積み重ねが全部自分の引き出しになっているからだと思います。

小さいころから人の顔色をうかがいながら生きてきた結果が高座にも活きてくるし、楽屋での立ち居振る舞いにも活きてくる。30年間たまたまやってきたことが全部、落語家になったときに活きてきたんですね。だから僕は10代で落語家を目指していたら、きっとダメだったと思います」

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人見知り、劣等感を克服して今があるわけではない

“「明るい所に花は咲く」。
まず自分が明るくなれるところを探さなきゃいけない。”

取材中、宮治さんの口からは何度も“劣等感”という言葉が発せられました。他人と比べて自分はこんなにも劣っているんだ、何もできないんだ——そんなネガティヴな気持ちでさえ「今は劣等感も悪いことだとは思わない」と言います。

「『自分には何の才能も実力もない』と思い続けながら48年間生きてきたので、辛いといえば辛いんですけど、そういう気持ちがなかったら今の自分はない。人間一度でも天狗になったら終わりだし、天狗のように伸びた鼻をへし折ってくれる人たちが周りに山ほどいた状況に感謝していますね」

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高座に上がる桂宮治師匠(撮影:武藤奈緒美)

今も、自分より才能や実力のある人を探しては劣等感を持ち続け、だからこそ天狗にならないでいられる。そんな中で大切にしているのは「日々一生懸命やっていく」ことだと語ります。

「何事にも手を抜かないこと。その日結果が出なかったとしても、それが全部自分の積み重ねになっていく。きちんと仕事をしていれば、誰かが見てくれていると思います。

『明るい所に花は咲く』って僕はよく言うんですけど、自分が明るくならなければ他人を明るくさせることもできない。花を咲かせたいと思ったら、まず自分が明るくなれるところ、自分に日が当たるところを探さなきゃいけないんだと思います」

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宮治さんが持ち歩く仕事道具。ものによっては30分以上にも及ぶネタがびっしりと書かれたメモ帳、レコーダー、
落語家の名刺といわれる手拭い、扇子、そして持ち時間が決まった寄席では必須の懐中時計

自分の花を咲かせられる場所や、大切な人との巡りあわせは一見、偶然や奇跡のようにも思えますが、宮治さんはそうではないと言います。

「失敗しないなんて無理です。僕もいっぱい失敗してきましたし、失敗したからこそ今がある。落語家って主演であり演出家・脚本家でもあるし、全部自分で決められるんです。人生も一緒ですよ。自分の演出と俳優としての立ち居振る舞い、脚本家としての言葉によって全部人生のドラマとストーリーが変わってくる。

人生の中でどんな人と出会えるかも、自分自身の行動次第で決まると思うんです。出会いって奇跡なんだけど、必然でもある。自分の人生を決めるのは誰でもない、自分なんです。若い人にはそのことに早めに気がついてもらえると嬉しいですよね」

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そんな宮治さんに「自分らしい生き方」について尋ねると、笑ってこう答えてくれました。

「自分らしい生き方?自分が何かなんて、誰にもわからないでしょう。今いる、その状況すべてが自分なんだから。それをより良くするかどうかは、自分の行動ですべて変わる。1日1日のたった一歩、一言、表情、動きが人生のストーリーを変えていく。今のあなたが変わりたければ、1秒後からの行動を変えればいいんです」

人を見つめ、自分を見つめて生きてきた宮治さんの言葉には、そっと背中を押してくれる、そんな温かな力強さがありました。

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PROFILE

(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

桂宮治

桂宮治

1976年、東京都生まれ。落語家。自身の結婚式当日に勤務していた会社を辞めると宣言し、桂伸治に弟子入り。2008年に楽屋入り。2012年、二ツ目に昇進し、「NHK 新人演芸大賞」を受賞。2021年2月、真打ちに昇進。都内や全国での落語会にも精力的に出演している。また、2022年1月からは『笑点』(日本テレビ)のメンバーに。『情熱大陸』(TBS)などメディアへの出演も多数。

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