2024.10.01 UP
変化の激しい現代社会。デジタル技術の進歩やAIの発展は、私たちの生活と仕事を大きく変えようとしています。このような時代に、やりたいことに挑戦し、自分の未来を切り拓くのに必要なことは何でしょうか。
福岡県糸島市でまちづくりプロジェクト「糸島サイエンス・ヴィレッジ構想」実現に取り組む平野友康氏は、好奇心を持ち、新たなことに挑戦し続けてきたひとりです。彼の経験から変化の時代を生き抜くヒントを探るべく、話を聞きました。
“いつか、何者かになりたかった。
でも、何者になれるかはわからなかった。
だから、ただただ、あがき続けた。”
群馬県桐生市で育った平野さん。少年時代は坂本龍一さんの音楽に夢中で、ぼんやりと“何かを表現する仕事に就きたい”と考えていたと言います。
「転機は大学に入ってから訪れました。Mac(Apple社のPC)との出会いです。ある雑誌で坂本龍一さんが『今の時代に生きていたら、音楽をやらないでコンピューターをやっていた』と言っているのを読んだんです。コンピューターを使えれば、いつか彼と対等に仕事ができるかもしれない。そう本気で思った衝動が、自分を動かしました」
当時は1990年代。PCを使いこなせる人が珍しかった時代に、Macを使っていろいろなことに挑戦し、コンピューターグラフィックや雑誌、3Dのゲームなどをつくっていたと振り返ります。そんな中、生涯の仕事となるソフトウェア開発に携わるようになります。
「映画や音楽はつくれなくても、Macを使ってソフトウェアならつくれるんじゃないかと考えました。常に頭に置いていたテーマは“クリエイターに武器を渡す”ということ。単にプログラムを書くのではなく、誰かの創造性を引き出すツールをつくりたい。それが僕のモチベーションでしたね」
平野さんが代表作ともいえる映像演出ソフト「motion DIVE」を発表し、全世界のクリエイターから注目を浴びたのは24歳のとき、1998年でした。
「クリエイターが新しい表現方法を見つけられるソフトウェアをつくろうと。それが『motion DIVE』の開発につながり、結果的に世界中のクラブやコンサートで使われるようになりました。一時期は、世界中のどこのクラブに行っても自分のソフトウェアが使われているような状況になったんです。夢のような経験でしたね」
“「このタイミングが人生を変える本番だ」
その瞬間を察知し、しがみつけるか。
特別なやり方なんて、たぶんないと思う。”
ソフトウェアやウェブサイトの制作などを手掛けているうちに、大きなチャンスに巡り合います。
「28歳のとき、憧れ続けた坂本龍一さんから『次のコンサートのウェブサイトを全部やってほしい』と仕事のオファーが来たんです。テンションがおかしくなるくらいに嬉しかったですね。ですが、実際に仕事を始めたら想像以上に大変でした。彼の要求するクリエイティビティが高すぎるんです。どう表現していいのか皆目見当つかず、相当悩みました。そのときに気づいたんです。“今こそが人生の本番なんだ。このために今までがあったんだ”と。諦めずに必死で考えて、最終的には自分なりの解釈でデザインをつくり上げることができました」
この経験から“本番の瞬間”の大切さを学んだと言います。チャンスに気づき、それをどう活かすかが、その後の人生を左右する。
「好奇心を持ち続けること、失敗を恐れず挑戦し続けること、自分の強みを見つけ磨き続けること。そして、チャンスが来たら全力で取り組むこと。常に学び、成長し続けることが大切だと思います。
困難を乗り越える特別な方法はありません。ただ、自分の好奇心を信じて、諦めずにやり続けること。それだけです。失敗を恐れないことも大事です。僕は何度も失敗してきました。でも、そのたびに学んで、次につなげてきた。そうやって少しずつ自分の道を切り拓いてきたんです」
“実際に手を動かして、つくってみること。
限界までやり切ること。”
好奇心は人生の羅針盤のようなもので、好奇心があるからこそ、いろんなことに挑戦できたと言う平野さん。新しいものを見つけたり、新しいことを始めたりするのは50歳になった今も楽しくて仕方ないと話します。
「あと、人間関係も大事ですね。すごい人たちと付き合うとかではなくて、自分が考えていることを話し合える仲間といつも一緒にいた。ものづくりの話が出来る仲間の存在が大切で、好奇心を刺激し合っています。
自分の手で何かをつくること、そして“集中力を切らさないで、限界までやり切ること”が大事です。何度も何度も、これじゃないと言っては捨て、またつくって捨てる。でも諦めない。最後まで集中力を切らさず、納得いくまでやり切る。そうやって出来上がったものは、すべて良い作品になっています。失敗を恐れずにチャレンジし、やり切ること。そういう姿勢が、きっと人生を豊かにしてくれると思います」
“自然や歴史、人びとの温かさ。
それらを活かしながら、未来のカタチを模索する。”
平野さんは2年前に福岡県糸島市に移住し、まちづくりという新しいフィールドに挑戦しています。きっかけは、糸島を初めて訪れたときの衝撃的な感動体験にあります。
「糸島を訪れたのは、たまたま九州大学の講義に呼ばれたんです。駅に着いて、レンタカーで走り出したときから特別なものを感じました。ただ感じることに集中しながら街の中を走り、森の中を走り、そして突然、目の前に開ける海。その瞬間の衝撃は今でも鮮明に覚えています。
空気の匂い、風の感触、光の具合、それらが全て新鮮で、でも不思議と懐かしい。街並みや人びとの表情、道端に咲く花々、それら一つひとつを、ただ全身で受け止めようとしました。
不思議な感覚でした。“探していたのは、ここだ!”という確信に近い感覚です。この体験は、僕の中で糸島という場所の本質を形作る重要な要素になりました」
テクノロジーの世界からまちづくりの世界へ。まったく違う世界に見えますが、根本的な考え方は変わらないと言います。テクノロジーを使って、人びとの暮らしをより良くする。そのために自分ができることを考え、実行する。人びとに“武器を渡す”という感覚は同じです。
「糸島でのまちづくり『糸島サイエンス・ヴィレッジ構想』は、行政や大学、街の人びととともに、テクノロジーと人間の幸せを両立させる実験的な都市づくりです。糸島の自然や歴史、そして人びとの温かさ。それらを活かしながら、新しい未来のカタチを模索しています。
例えば、市役所の業務効率化から始まって、地域の課題解決まで、AIを使ってできることはたくさんあります。糸島市役所は全部で500人くらいしかいませんが、この規模は新しいテクノロジーの導入にちょうどいいと思っています」
この土地に住む人びとが幸せに暮らせること。そのために、テクノロジーをどう活用するか。それを地域の人たちと一緒に考え、実践していくことを大切にして活動は進められています。
“AIやテクノロジーの進化を味方につけて、
自分らしい人生を切り拓いていってほしい。”
AI技術の発展を恐れる必要はなく、むしろチャンスだと平野さんは言います。ただし、従来とは違う能力が求められるようになる、とも。
「今までの学校教育や会社が求めてきた優秀さ、例えば記憶力や計算力、正確さなどは、AIには太刀打ちできません。そういう“AI的な優秀さ”を目指すのは、もう意味がありません。
自分の個性を大切にしてください。オールマイティな優秀さではなく、自分にしかできないこと、自分らしさを磨くことを大切にする。テクノロジーの進化を味方につけて、自分らしい人生を切り拓いていく。
リアルな人間関係も大切ですね。確かに、ネットやSNSで簡単につながれる時代です。でも、本当の意味での深い関係性は、やっぱりリアルな場所で作られるものだと思うんです」
人と自然とテクノロジーが幸せに共存できる世界を、糸島で実現したいと平野さんは笑って話します。自分が幸せになるためには、周りの人も幸せである必要がある。自分の幸せと社会の幸せをつなげる、そういう視点を持つことで、より豊かな人生が送れるのかも知れません。
(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)
平野友康
株式会社メタコード 代表取締役/イトシマ株式会社 代表取締役