HomeSpecial構えずに、立つ。 指揮者・沖澤のどかの「正直でいる」という選択

Vol.01

挑 / いどむ

2026.08.28 UP

構えずに、立つ。
指揮者・沖澤のどかの「正直でいる」という選択

article_59_img01.webp世界の名だたるオーケストラに招かれ、国際的に活躍する指揮者・沖澤のどかさん。「世界的指揮者」という言葉から想像する大仰な芸術家像とはどこか異なる、自然体の魅力があります。

奏者一人ひとりに目を配り、言葉を尽くし、耳を開く。その姿勢はどのように育まれたのでしょうか。

無知ゆえに飛び込んだ音楽の道、指揮台を離れた時間、コンクールに落ち続けた日々――。そうした歩みのなかで形づくられた、沖澤さんならではの“立ち方”を追います。

Text_Interview_Takahiro Kato
Photograph_Kimi Takeuchi
Edit_Takayuki Hakamada

指揮者は準備が7割

“奏者が集中できる空間をつくるのも、大事な役割。”

2026年7月8日、京都コンサートホール。2日後に定期演奏会の本番を控え、京都市交響楽団のリハーサルは佳境を迎えていました。

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約80人の楽団員と向き合うのは、常任指揮者の沖澤さん。2019年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、これまでロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やボストン交響楽団をはじめ、世界各地の名だたるオーケストラに客演。気鋭の指揮者として国際的に活躍しています。

「ありがとうございます」
「すごく合いますね。素晴らしい」

演奏の合間、沖澤さんはたびたび奏者への感謝や敬意を言葉にします。リハーサルの雰囲気は和やかですが、音への要求は緻密。「もう少しベッタリと、おどろおどろしく」「ここは相当薄く、オルゴールの世界です」。

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複雑な変拍子を整理しながら、奏者の迷いを丁寧に取り除いていきます。かと思えば、「ここはどうしましょう?」と奏者に問いかける場面も。自らの考えを伝えるだけでなく、奏者の声にも耳を傾けながら音楽をつくり上げていきます。

「段取りが悪いと、奏者にストレスがたまっていくものなんです。オーケストラのやる気を削がないことが大事だと思っています」

指示がきちんと届くように話し、奏者が音楽に集中できる空間をつくる。沖澤さんは、指揮者の仕事は「準備が7割」といいます。選曲や譜読み、ソリストの選定など準備は多岐にわたります。さらに、音楽の方向性を定め、オーケストラの将来像を描くことも大切な役割。時にはスポンサー対応やPRなど対外的な仕事にも携わります。

そんな沖澤さんの姿は、強烈な個性や威厳でオーケストラを率いる、いわゆる「マエストロ」のイメージとは少し異なります。

「どう見られたいという理想像はありません。正直でいようと思っているので、そのままを見てもらうのが一番いい」

奏者とフラットな関係を築き、互いの信頼を育んでいく。それが、自分の求める音に近づくために大切だと考えています。

無知だったから飛び込めた

“知らないからこそ、ブレーキなしで何でもできる。それは強い。”

沖澤さんは幼少期からピアノを習い、アマチュアのチェロ奏者だった伯父からも影響を受けるなど、音楽に親しんで育ちました。一方、高校は地元・青森の県立進学校へ。成績は良く、周囲の期待に押されるように「国立大学に行くもの」と考えていました。

転機が訪れたのは、高校2年の冬。短期留学で訪れたオーストラリア・シドニーで、自分とはまるで違う生き方をする人々に出会います。これまで当然だと思っていた進路は、本当に自分で選んだものなのか。周りに示された進路を、自分で選んだつもりになっていただけではないか――。そう自分自身に問い直します。

シドニーでは、自分と音楽との関係にも気づかされました。ホームステイ先にはピアノがなく、10日間も弾かないのは物心がついてから初めてのことでした。

「禁断症状みたいな感じで、ピアノが弾きたくてたまらなくなって」

音楽への思いをあらためて自覚し、帰国後、「国公立大学ならどこでもいい」という両親の言葉を受け、志望先を東京藝術大学に絞ります。

楽理科なども選択肢に上がりましたが、研究することよりも「人と一緒に音を出したい」。その思いで選んだのが指揮科でした。受験科目を調べると、ピアノの先生に教わり、得意としていたソルフェージュ(聴音や初見視唱など、音楽の基礎能力を養う訓練)も含まれていました。「もしかしたら、自分にもできるんじゃないか」。そう思えたことも挑戦を後押ししました。

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京都市交響楽団定期演奏会向けの楽譜。沖澤さん自身の手でトライアングルやシンバルのマークが書き込まれている

沖澤さんは、音楽の世界をよく知らなかったことも、東京藝大に挑めた理由の一つだったと振り返ります。もし大都市圏に暮らし、周囲のレベルや音楽界の厳しさを知っていたら、受験することはなかったかもしれない。そこにあったのは、「無知から来る、根拠のない自信」でした。

「知らないからこそ、ブレーキなしで何でもできる。それは強いと思います」

立ち止まり、指揮台の外へ

“知りたくて仕方なかったことが、「知らなきゃいけないこと」になった途端、苦しくなった。”

東京藝大に入ると、周囲は俊英ぞろいでした。幼い頃からコンクールに挑んできた学生もいれば、すでに音楽家としてのキャリアを歩み始めている学生もいる。沖澤さんは周囲との隔たりを感じ、劣等感を募らせていきます。

「先生の言っていることもレベルが高すぎてわからなかった。受験期は学ぶことが楽しくて仕方なかったのに、『知っていて当然、知らなければ失格』という環境に入った途端、苦しくなってしまって」

東京の生活にもなじめませんでした。満員電車や人混みに疲れ、やがて体調を崩し、学部3年の後期に休学。故郷・青森へ帰り、指揮の道をあきらめることも考えます。

そんな時、思い出したのが指揮者・下野竜也さんでした。当時、上野学園大学で指揮を教えていた下野さんは、沖澤さんがマスタークラスを受けた際、初めて「才能がある」と言ってくれた人でした。

「先生に何も言わず辞めるのは失礼だと思って、青森から電話したんです」

このまま大学を辞めるかもしれない――。そう打ち明けると、下野さんは、藝大にはさまざまなことに挑戦できる環境があるのだから、もう少しだけ頑張ってみなさい、と背中を押してくれました。

「絶対に才能があるから大丈夫。どうしようもなくなったら僕のところに来ればいい」

その言葉を受け、沖澤さんは復学を決めました。

大学最終学年には、もう一つの大きな転機が訪れます。当時、オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督だった井上道義さんの講習会に参加し、金沢へ誘われたのです。当初は指揮研究員として赴任するはずでしたが、受け入れ側にはそのポジションがなく、事務局員として契約することになりました。

「話が違いますよね(笑)。でも、運営面に関われたのはすごく大きかった」

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金沢時代にはジュニアオーケストラの指揮も経験(左)、舞台上で井上道義さんから紹介される沖澤さん(右)
(写真:オーケストラ・アンサンブル金沢)

電話応対など事務局の仕事に携わる一方、演奏やジュニアオーケストラの指導も経験しました。事務局と奏者、どちらにも関わる立場にいたからこそ、互いが相手をどう見ているのか、その本音に触れることができたといいます。

さらに、オーケストラを支えるさまざまな仕事にも、それぞれの専門性と誇りがあることを実感しました。指揮台とは違う場所からオーケストラを見る。その経験を通して培った「全体を見る目」は、沖澤さんにとって大きな財産となりました。

「このままでいいんだ」と思えた

“コンクールに落ちていた時期でも、「自分が持っている音楽で大丈夫」と思えた。”

東京藝大大学院を卒業後はドイツへ渡り、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンで学びながら各地のコンクールに挑戦していきます。

「ファイナルやセミファイナルまで進んだものも含めると、10回ぐらいは落ちています。結構きつかった。大学の休学なんて、今考えれば挫折のうちに入りません」

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受けても、受けても、落ちる。アルバイトをしながら挑戦を続けるうち、30歳が目前に迫っていました。この生活をいつまで続けられるのか、指揮者としてやっていけるのか。真剣に悩んだといいます。

一方、ドイツでの生活は沖澤さん自身にも変化をもたらしました。

留学直後は「自信がなさそう」「礼儀正しすぎる」と指摘され、「ドイツでは10言わないと伝わらない」と悟ります。求めることや自分の意見を明確に言葉にする。その姿勢を次第に身につけていきました。

また、自分の音楽への評価を、そのまま自分自身への評価として受け止めていたことにも気づきます。音楽と自分を少しずつ切り離して考えられるようになり、やがて「必ずしも音楽を職業にしなくてもいい」とまで思えるようになりました。

「それからは、音楽との向き合い方も健全になったと思います」

2019年、東京・春・音楽祭で、イタリア出身の世界的指揮者リッカルド・ムーティさんのイタリア・オペラ・アカデミーを受講する機会がありました。目の前でオーケストラの音を、歌手の声さえも変えていくマエストロの存在感に圧倒され、「自分があそこまでたどり着けるのだろうか」と感じたといいます。

そんな沖澤さんに、ムーティさんがかけた言葉がありました。

「Be Yourself」

男性のマエストロのように、あえて振る舞う必要はない――。沖澤さんは、そんな意味の言葉として受け止めました。

「このままでいいんだ、自分が持っている音楽で大丈夫なんだと思えました」

同年9月、32歳でブザンソン国際指揮者コンクールに優勝。しかし、それまでとは何かが決定的に違うという手応えがあったわけではありません。数々のコンクールに挑み続けてきた、その延長線上にあった優勝でした。

人を動かすのは、力ではない

“必ずしも、好きなことを仕事にしなくてもいい。”

指揮者は時に、自分よりはるかに経験豊富な奏者たちと向き合い、一つの音楽をつくり上げていきます。そこにあるのは、一方的に何かを教え、従わせるような関係ではありません。

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2025年11月、ボストン交響楽団の演奏会で指揮をする沖澤さん(© Michael J. Lutch, courtesy of the Boston Symphony Orchestra)

「そもそも、奏者は若手の指揮者から何かを教わろうなんて思っていません」

それぞれの楽器の技術では、奏者には到底及ばない。そう考える沖澤さんが大切にしているのは、オーケストラのモチベーションを高め、「何か面白いことが起こりそうだ」と感じてもらうことです。そのためには、自分の考えを押しつけるのではなく、「オーケストラが持っている“懐の深さ”に入り込む」ことが必要だといいます。

人を動かすのは、力ではない。一人の人間としてフラットに接し、敬意をきちんと伝える。そして、相手が持つ力を引き出していく。立場や仕事が違っても、人との向き合い方には通じるものがありそうです。

最後に、これから自分の道を歩んでいく人たちへのアドバイスを聞きました。

「熱中できることを見つけられるといいですね。それを仕事にするかしないかは別。仕事にできなかったからといって、失敗とは思わないでほしいです」

沖澤さんは今でも、アマチュアオーケストラで演奏する人たちを見ると「いいなあ」とうらやましくなることがあるそうです。

「仕事のあとや休みの日に、驚くほど真剣に、すごく楽しそうに演奏しているんです」

好きなこととの向き合い方は、一つではありません。

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「人と比べる必要はありません。自分がやりたいと思うことをずっと長く続けてみるのもいいと思います」

7月の京都市交響楽団定期演奏会で、沖澤さんがフィナーレに選んだのは、ドビュッシーの交響詩『海』でした。海に強い憧れを抱いていたドビュッシーは、『海』を書き始めた1903年、友人への手紙で、もともとは船乗りになるはずだったが、人生の偶然によって音楽家の道を歩むことになったと振り返っています。

大作曲家が描いた海が、大きなうねりとなってホールを満たしていく。その中央には、構えずに指揮台に立つ沖澤さんの姿がありました。

PROFILE

(所属組織、役職名等は記事掲載当時のものです)

沖澤のどか

指揮者

1987年青森県三沢市生まれ。幼少期からピアノ、チェロ、オーボエなどに親しむ。東京藝術大学音楽学部指揮科首席卒業。同大学院、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン修士課程修了。若手の世界的登竜門と言われ、かつて小澤征爾氏も優勝者に名を連ねた仏ブザンソン国際指揮者コンクールを2019年に制し、2023年に京都市交響楽団の常任指揮者に女性初・最年少で就任。2024年からセイジ・オザワ松本フェスティバル首席客演指揮者。独ベルリン在住で、日欧を往復しながら国内外のオーケストラと共演を重ねている。私生活では2019年に結婚し、子ども2人、猫2匹と暮らす。

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