双日株式会社

「全力」ってなんだろう。
自分なりに頑張ったではなく、
できることをすべてやったと
言える努力をしたい。

村井 宏人
リテール・生活産業本部 本部長 
1989年入社 基礎工学部卒

子どもの頃から数学が得意で理系の道に進み、大学では物性物理を専攻して超伝導体に関する研究を実施。その一方で、小学生時代からスイミングスクールに通い、大学まで水泳に明け暮れた。最後の大会を終え、就職活動では様々な企業を視野に入れていたが、商社に就職をしていた水泳部のOBの影響で同じ道を志す。「海外を飛びまわり世界を相手にする仕事」をしてみたいと考え、双日(当時:日商岩井株式会社)に入社した。

実はチームプレーが大切な水泳

水泳をはじめたきっかけは、小学校の夏休みに親にすすめられて通いはじめたスイミングスクールです。その後、中学、高校でも水泳部に所属、市の大会で入賞できる程度の実力でしたが、仲間と競い合いながら毎日必死で練習していました。大学では高校の水泳部の先輩に誘われる形で体育会水泳部に入部しましたが、それも自然な流れだったと思います。水泳は個人競技というイメージが強いかもしれませんが、実はチームスポーツといっても過言ではありません。私は200mと400mの個人メドレーを専門としていましたが、その個人戦に加えて、各種目のレースに出場した選手の順位によってチームに得点が加算され、総合得点によってチーム戦としての勝敗が決まります。大学では「対抗戦」と呼ばれるチーム戦が多くあり、個人戦以上に大学として勝利を狙って皆で一丸となって練習をしていました。

自分なりの努力は本当の努力か

その対抗戦の中でも、因縁のライバル校と何十年の歴史を持つ対抗戦は、特に盛り上がっていました。最後の種目の結果が勝負の分かれ目になるなど、まさに伝統の一戦という感じです。そんなライバル校との戦いで印象深く思い出に残っているのは、勝利ではなく悔しい思いをした敗戦です。その年の春、自分自身の不注意が招いたケガのため練習不足のまま対抗戦に臨み、不本意な結果に終わりました。自分としてはケガのリハビリしながらも練習でも本番でも最大限の力を出していたつもりです。チームメイトからしても、そう見えていたと思います。しかし、後になってその敗戦を振り返ってみると、もっとやりようがあったのではないか?無意識のうちにケガを言い訳にしている自分がいたのではないか?勝つために「本当に全力でやれることをやり切ったのか?」そんな反省が芽生えてきました。

入社3年目で迎えた危機

そうした水泳部での経験を経て、何事に対しても「自分は本当に全力なのか?」という問いを常に意識するようになりました。ただ全力というのは、なかなか自分では線引きが難しいものです。私の中では、「できることをすべてやる」ということを全力の定義としています。この意識は社会人になってからも大いに役立っていると思います。入社3年目の頃、ドイツから生ビールをつくる機械を輸入してビール会社に販売するビジネスを行った時のことです。その機械は個別設計になっているのですが、あるお客様のところに納入すると、要求していたものと違うとのクレームを受けました。設計仕様の情報が正確に伝わっていなかったことが原因だったのですが、結局は現場での改修程度では済まず、抜本的につくり替えることになってしまいました。しかも、その機械を使う予定だったお客様先の工場の操業開始時期は決まっていたため3ヵ月で新しい機械を作り直して納入しなければならないという非常に状況に追い込まれました。

道が見えるまで考え続ける

まず納期に間に合わせるために「できることすべてやる」べく、自分自身がドイツの本社工場に3か月間張り付きました。私たち総合商社は技術を持っていませんが、できることはたくさんあります。工程の進捗管理を徹底的に行い、また仕様面、製作工程面、等少しでも不明点があれば即座にお客様と協議し、その結果を速やかに反映させる。わずかなミス、遅れも許されない緊迫した日々が続きました。当時はメールもインターネット、携帯電話もない状況で、時差のある日本と毎日国際電話で協議しFAXでその内容を確認繰り返すなど、まさに休み間もない3か月でしたが、やれることはすべてやり切って、最終的に無事に納品することができました。
この「できることをすべてやる」という意識は、夢を叶えるためにも絶対に必要になると考えています。やりたいことをするために、その方法やプロセスをすべて考え、実行する。どんな部署にいたとしても、そのように考えられれば、必ず夢につながる仕事ができるはずです。

※社員の所属部署は取材当時のものです。