インドネシア・メタノールプロジェクト

メーカー機能を持った商社 - インドネシアで作ってアジアで売る

2011年9月

(所属組織、役職名等は本記事公開当時のものです)

双日は、現在、インドネシアのKMI(PT. Kaltim Methanol Industri)社に85%を出資し、そこで製造したメタノールをアジア諸国へ向けて、化学品原料やエネルギー用途として販売する事業を推進している。商社が、トレーディング・マーケティングだけではなく、生産オペレーションなどのメーカー機能を持ち、みずから製造にまで関わるのは珍しい。商社にとって未知の事業をいかに切り拓いていったのか、インドネシアでのメタノール事業を追う――。

メタノールの将来性を見込んで

基礎化学品部第二課
課長 青木慎一郎

インドネシアは、石油・天然ガス・石炭をはじめとする資源に恵まれた、アジアにおける資源大国である。KMI社は、天然ガスを原料にメタノールを製造する企業として、1991年に出発した。当初双日は出資はせず、トレードと商社金融の提供で同社との関係を深めていたが、さらなる関係強化を目的に出資、段階を追って増資を行い、85%のスーパーマジョリティーを獲得、現在は製造のオペレーションをするまでに至っている。 メタノールは、極めて基礎的な化学原料に位置づけられる。広範な用途に向け、2次加工・3次加工が行われるほか、近年はエネルギー分野での利用も急増している。その意味でも、メタノールを生産するということは、広範なバリューチェーンの川上分野を押さえることに他ならない。

双日は、メタノール需要は化学品原料分野・エネルギー分野共に、新興国をはじめとする経済成長とともに必ず伸びていく――と予測した。それゆえに、メタノールの販売実績もほとんどなかった双日が、現地資本より株式を買い受け、数年をかけ85%の出資比率にまで伸ばしていくことになったのである。

不況の中で

本格生産が始まったのは98年。技術的知見・経験が必要なため、高い製造技術と工場運営で実績のある日本の化学品メーカーOBに、立ち上げ支援を依頼した。当初の年間生産予定は66万トン。だがそこへ至るのに、様々な紆余曲折があり、3年という期間を要してしまった。

生産が始まった当時、アジアは通貨危機の不況の真っただ中だった。需要は冷え込み、メタノール価格は最低水準まで落ち込んでいた。そのなかで、メタノールの販路をほとんどゼロから開拓していく必要があった。

メタノールを必要とする業種は化学品メーカー・エネルギー供給メーカーなど幅広く、見込み顧客をリストアップし、とにかく、かたっぱしから売り込み行脚を行った。

工場のタンクには6万トンしか貯蔵できない。販売ができなければ工場の稼働を止めなくてはならない。そうなれば、再立ち上げに、品質の管理や効率化などの面で多くの負担がかかる。そのため稼働を止めたくない。その一心で、必死に販売を行った。台湾に飛び、インドネシアに移動、さらに、そこから韓国に渡り、また、日本で売り先を探す日々――。

我慢の時期が続いた。

追い風の日々

2003年に入って情勢は大きく変わる。成長ステージに突入したアジアの景気は上向き、新興国を中心に、接着剤・合成繊維・高機能プラスチックとしての化学品分野に加え、エネルギー分野としての需要も順調に伸びてきたのだ。

インドネシア産メタノールの競合はサウジアラビアをはじめとする中東産だが、アジアで販売するには地の利からみて圧倒的に有利である。納期までのリードタイムが中東勢の3週間に対し、インドネシアは1週間あれば十分。そのため顧客の細かいニーズにも応えることで、オペレーションに対しても市場の信頼を得て、事業は順調に軌道に乗っていった。

リーマンショック

吉澤 清弘
吉澤 清弘

世界中が影響を受けた2008年のリーマンショックは、アジア通貨危機以来の大きな逆風だった。またもや売れない日々、タンクには製品が在庫となる。そしてこの時はついに、タンクの貯蔵力を超えてしまう危惧から工場の稼働を止める日が迫った。

売り先探しに奔走する中、メタノール販売を始める前から取引があり、長年の信頼関係を築いていた台湾の顧客が、当社の窮地を知り手を差し伸べてくれた。大量受注――、向け先は中国だった。

この取引を機に、それまではほとんど取引をしていなかった中国市場の開拓が始まった。リーマンショック後世界経済を牽引していく中国に、このタイミングで販路を求めていけたのは、実に時宜を得ていた。結果として、双日は今回の危機も切り抜け、逆に、巨大市場に新しい販路を開拓することができたのだった。

アンチダンピング

中国市場は、有望だった。化学原料としてのメタノール消費は、生活水準やGDPと比例するように伸びていく。エネルギー用途としても、需要が大きかった。

だが、またしても危機的な状況がKMI社を襲う。

2009年6月、中国政府によるインドネシア産のメタノールを対象としたアンチダンピング(WTOの基準に基づき、国が発令できる自国産業の保護政策)が立件されたのだ。

リーマンショックを境にインドネシア産のメタノールを中国向けに大量に販売してきたことで、中国政府が国内生産者の保護政策をとったためだ。このままでは価格競争力を失い、最悪、中国市場からの撤退に追い込まれてしまう。メタノール事業の大きな正念場であった。

ここで双日は、正面から状況を説明し理解を得る――、そういう方針で取り組んだ。過去の貿易データ、決算書、有価証券報告書、契約書などすべての書類を政府関係機関に提出し、当社の考え方を誠心誠意説明していった。

KMI・双日の関係者が一体となり取り組んだこれらの必死の努力もあって、2010年12月、関税率も当初の発表より大幅に引き下げられ決着を得ることができた。

次なる飛躍

竹内 遙
竹内 遙
向井 陽平
向井 陽平

双日は現在、メタノールを年間100万トン(うちKMI製造分50万トン)販売するに至っている。これは世界全体の2%に相当する。メタノール販売が好調なため、KMI以外に中東などからもメタノールを調達し、販売するようになったのだ。

次の目標は、第2のKMIの設立である。12年間のオペレーションで培ってきた経験、会社運営のノウハウ、顧客との信頼関係などの「資産」をいかに次に繋げるか、応用できるフィールドはどこにあるのか、調査・検討を繰り返している。

次の事業展開を考える鍵となるのは、競争力のある原料をいかに調達するかであるが、天然ガスをめぐる情勢は、シェールガス採掘技術の進歩やLNG発電の増加など、刻々と変化している。メタノール事業も長期にわたって持続的成長をしていくためには、景気の波や資源をめぐる熾烈な競争、国の発展と政治情勢の変化、等々の様々なリスクを乗り越えていかなくてはならない。

双日のメタノール事業は、商社機能とメーカー機能の融合をコアに、数々の難問を乗り越えてきた不屈のヒューマンパワーで、これらの荒波を必ず、乗り越えていく。

コラム 2005年以来「Zero Accident Award」を、毎年連続受賞

授賞式でのKMI社の梶田副社長
授賞式でのKMI社の梶田副社長
防災訓練風景
防災訓練風景

KMI社は、労働事故ゼロを継続達成していることに対して、同国の労働移住省より「Zero Accident Award」をこの表彰が始まった2005年以来、毎年連続して受賞している。

KMI社では安全操業を最優先課題とし、予防的メンテナンスの徹底、定期的な訓練、安全指導などを行っている。これらもKMI社の団結力の強さを物語る。今後も連続受賞記録の更新をめざし、安全対策を強化していく。

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