大阪商工会議所と日本綿花

NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデル・広岡浅子の夫、信五郎は日本綿花(現・双日)発起人の一人。日本綿花は、大阪商人ら25名によって設立され、彼らの多くは五代友厚らが主導した大阪商法会議所(後・大阪商業会議所、現・大阪商工会議所)の会員となり、大阪の近代化に尽力した。


明治11(1878)年に設立された大阪商法会議所は、五代友厚が初代会頭となり、第3代、第5代の会頭は日本綿花発起人で社長を務めた田中市兵衛が、第6代会頭は、同じく日本綿花発起人の浮田桂造が務めた。


明治24(1891)年に大阪商法会議所が、大阪商業会議所に改組した際に、大阪の有力商人50名が発起人として名を連ね初期会員として登録された。その中には、加島銀行の広岡久右衛門(信五郎の弟)の名があり、それ以外に9名が日本綿花発起人と重なる。


木原忠兵衛(銀行)
岡橋治助(木綿商)
岩田惣三郎(洋綛商)
平野平兵衛(洋綛商)
竹尾治右衛門(呉服商)
野田吉兵衛(第三十四銀行)
田中市兵衛(肥物商)
金沢仁兵衛(肥物商)
浮田桂造(売薬業)
亀岡徳太郎(足袋商)


尚、大阪商法会議所の設立された翌年の明治25(1892)年に日本綿花が設立されている。こうした歴史的背景もあり、日本綿花、ニチメンそして現在の双日にいたるまで、大阪商工会議所の会員番号1番
であり続けている。

  • 大阪商法会議所(1893年頃)