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明治維新以後、いわゆる文明開化の風潮にのって、海外から綿糸や綿布が大量に輸入されたため、当時のわが国の貿易は入超つづきであった。
そこで政府は、明治11年(1878年)ごろから、設備近代化による紡績の振興をはかったため、紡績の生産規模は一躍増大しわが国の基幹産業の一角を占めるようになった。一方原料の国産綿花はその需要をまかないきれず、いきおい原料を海外に求めざるをえなくなっていた。しかも品質においても外国産の方が有利であったため、まず中国綿が、次にインド綿が、その後はより良質のアメリカ綿が輸入されるようになった。
しかしながら、当時、綿花の輸入業者は一社のみで、あとはいわゆる外商にたよるほかなかった。海外からの情報が不足していた当時のこと、外商の中にはいわゆる「商館風」を吹かせ暴利をむさぼる者もいて、まだ発展途上にあった紡績業界に深刻な状況をもたらした。このころ大阪の紡績会社の有志たちが、かかる情勢に危機感を持ち、綿花直輸入会社の設立にむけて動き出した。1891年10月、摂津紡績、平野紡績、尼崎紡績、天満紡績の4社の首脳陣を中心とした25人の発起人が名を連ね、「日本綿花株式会社」設立願いを大阪府知事に提出した。
1892年10月、大阪府知事から設立許可が下り、11月10日に設立総会を開催、初代社長に官僚出身の佐野常樹(当時38歳)を選出、事務所を大阪市西区靱北通4丁目に開設(現在の大阪本社の所在地 大阪市北区中之島2丁目は3代目にあたる。)し、ここにニチメンの前身である「日本綿花株式会社」が誕生した。



