【日綿實業・ニチメン】戦後の日中貿易再開への貢献

大手商社初の友好商社に指定

日綿は、昭和29(1954)年に元社長の南郷三郎が日中輸出組合の理事長として毛沢東首席と会談するなど、日中の民間貿易の正常化に向け、指導的な役割を担ってきた。


昭和35(1960)年になって中国は個別的な民間ベースの経済取引再開を認め、友好商社を指定して貿易業務を認める方式が確立した。当時大手商社の多くは、台湾との取引関係を配慮してダミー商社を通して国交がない中国との貿易を行ったが、日綿と日商は自社名で取引を行った。そして昭和36(1961)年に、日綿は当時の10大商社の中で初めて友好商社として指定された(日商も翌62年に指定)。


昭和40(1965)年には日綿社長の福井が、中国国際貿易促進委員会の招待により、大手商社のトップとして初めて中国を訪問している。


昭和47(1972)年に日中国交正常化が実現し、昭和53(1978)年に日中友好条約が締結されると、日中関係は大きく改善した。この年、日綿は、カラーテレビ用IC製造プラント(総額100億円)の大型商談を成功させたが、これが日中平和友好条約締結後の記念すべき第一号大型プラント契約となった。

  • 「友好商社」に指定を報じる新聞(1961年3月29日付日本経済新聞)

  • 初めて中国を訪問した社長の福井(右から2番目、1965年11月)

  • カラーTV用IC組み立プラント契約調印式(1978年8月)