【鈴木商店】金子直吉の評価、羽ばたく鈴木商店社員

金子は財界のナポレオンと称され、旧鈴木商店社員は次々大臣に

金子直吉は、「生産こそ最も尊い経済活動」という信念のもとに「煙突男」と揶揄されるほど製造事業を展開し、鉄鋼、造船、石炭、化学、繊維から食品に至るまでの80社を超える一大コンツェルンを形成、鈴木商店を日本一の総合商社へと導いた。こうした金子の才覚には、同時代の多くの財界人から驚嘆の眼差しが向けられている。

 

「我が国におけるナポレオンに比すべき英雄(財界のナポレオン)」(福沢桃助)

 

「土佐の国はわが財界に二大偉人を送った。一は岩崎弥太郎、一は鈴木直吉だ」(福沢桃助)

 

「金子は正規の学問こそないが、道理を知るにはよほど明らかで、事業家としては天才的だ」(渋沢栄一)

 

「もし金子君が米国のような大きな舞台に生まれたならば、カーネギーとロックフェラーとモルガンとを合わせたようなひとが出来上がるだろう」(星一/星製薬創業者)

 

「今の日本で一騎打ちで金子さんの相手のできる人は絶対にいない」(木村久寿弥太/三菱合資総理事)

 

「これから勤める会社は私の反発的な気分を満たすに足る金子直吉という英雄的な番頭が経営する日の出の勢いの鈴木商店である」(大屋晋三)

 

鈴木商店および金子直吉により育てられた人材の多くは、鈴木商店破たん後に政財界で活躍する。播磨造船所支配人であった北村徳太郎は、運輸大臣、大蔵大臣に、帝人の社長であった大屋晋三は、大蔵大臣、商工大臣、運輸大臣に、日商の創業者の一人でもある永井幸太郎は貿易長官に、その他にも多くの鈴木社員が政界に進出し、世間では「「なぜあんなにも鈴木商店のOBたちが次々と大臣の椅子を占めるのか」といかぶられるほどであった。

 

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