サウジアラビアの聖地に変電所

サウジアラビア・メディナ市に変電所を建設

平成4(1992)年2月26日、サウジアラビアのメディナ市でメディナサウス変電所の完成式が行われた。日立製作所とニチメンが共同で、サウジアラビア西部地域統合電力会社(EWR:現Saudi Electricity Company)から受注した変電所である。


メディナはメッカと共にイスラム教の聖地と称され、世界中から多くのイスラム教徒が巡礼に訪れる。サウジ国王がこの地の守護者であり、政教一致の国にとって、メディナの重要性は計り知れない。この地のインフラ整備はサウジ国王の威信にも関わり、同変電所プロジェクトの国家的意義は非常に大きかった。宗教上の聖地であるがゆえに、異教徒に対しての生活上の制約は厳しく、アルコールの飲酒は禁止、町のかなりの部分が立入禁止地域で、建設現場も立入禁止域内にあった。契約当事者である日本側関係者でも、特別の許可証なしに現場に入ることが許されず、許可証取得までに多くの労力を費やした。


風土的にも、メディナは砂漠の街で、冬は冷え込み、夏は灼熱の太陽と熱風の世界になる。厳しい気象条件下で建設作業を進捗しなければならなかった。その上、工事の途中で変電所の配置換えを命じられ、大幅な設計変更を強いられるなど、様々なトラブルにも見舞われる中、プロジェクトは進んだ。


さらに、平成2(1990)年8月に湾岸危機が勃発し、翌1月には湾岸戦争が開戦した。工事最盛期に湾岸戦が勃発し、各社がサウジアラビアからの退去を開始した。ニチメン・日立製作所も退去準備をすすめていたが、サウジアラビア政府から日本大使館を経由し、プロジェクトの作業継続が依頼される。両社は検討の結果、作業継続を決定し、変電所を完工させた。非常事態の中、関係者は人命尊重と工事の早期完成の重要課題に取り組み、湾岸戦争という障害を乗り越え、3年の歳月を経て、変電所はついに完成に至ったのである。この働きは、大いに顧客(EWR:現Saudi Electricity Company)から評価され、ニチメン・日立製作所に対する信頼はさらに強固なものとなった。


サウジアラビア王国の電力需要は、人口増加に伴い、引き続き旺盛な伸びを示した。メディナサウス変電所完成から7年後の平成11(1999)年にも、サウジアラビア王国サウジ西部電力公団向けに38万ボルト変電所設備一式を受注。受注総額は当時の金額で約80億円にのぼった。


ニチメンは、昭和53(1978)年に日立製作所と共同で、サウジアラビア王国の変電プラントを初受注後、同国の変電所を数十か所も手がけ、輸出実績は数十年の歴史を誇った。同国の公団に高く評価され、変電所設備は指名で受注するほどとなる。サウジアラビアでの変電設備事業は、ニチメンにとって、重要かつ伝統的商権であった。

  • 完成式の様子