日本一の総合商社に

鈴木商店の絶頂期を象徴する「天下三分の宣言書」

第一次世界大戦が勃発すると、金子直吉は戦争の長期化による物資の不足と物価の高騰を予測、一大投機に打って出る。 "BUY ANY STEEL, ANY QUANTITY, AT ANY PRICE"(鉄と名のつくものは何でも金に糸目をつけず、いくらでも買いまくれ)との大号令を発信。その後、物価は金子の予想どおり急騰し、鈴木商店は巨額の富を得る。

 

ロンドン支店長の高畑誠一は連合国に大量の船舶、食料、鉄材などを供給し、スエズ運河を渡る船の1割は鈴木の船だといわれた。高畑は「大英帝国といえども一介の客にすぎない」と強気のビジネスを展開し、英・チャーチル海軍大臣(後の首相)からは「カイゼルを商人にしたような男だ」と恐れられた。

 

こうして大正6(1917)年に、鈴木商店の売上高はGNPの1割に相当する15億円を記録、日本一の総合商社となった。金子直吉はロンドン店の高畑に、「三井三菱を圧倒するか、しからざるも彼らと並んで天下を三分するか、これ鈴木商店全員の理想とするところなり」との書簡を送った。これは「天下三分の宣言書」と呼ばれ、鈴木商店絶頂期を象徴するものとして知られている。

 

高畑誠一の故郷である愛媛県内子町には、「貿易会先覚者」としての功績を称えた高畑の石碑、胸像などが建てられている。

 

[外部サイト]

  • 金子直吉が高畑誠一に送った「天下三分の宣言書」

  • 高畑誠一胸像(内子町小学校)

  • 鈴木商店ロンドン支店があったミーシングレーン