住宅、木材分野への進出

木材輸入への画期的な取り組みで業界トップに

昭和40(1965)年、「いざなぎ景気」が始まり、昭和45(1970)年まで戦後最長の景気拡大期を記録した。いわゆる「3C(カー、クーラー、カラーテレビ)時代」が本格化し、耐久消費財ブームが起きる。住宅不足解消のため日本住宅公団が設立され、集合住宅の供給が全国に急ピッチで拡大。こうした中、日綿も1960年代からマンション事業を開始した。


昭和44(1969)年に、第一号として横浜に御所山ハイツを、神戸においては御影ハイツを建設分譲。その後、名古屋、東京などの都市圏で「グランドハイツ」ブランドのマンションを相次いで発売。また昭和49(1974)年には、湯河原、熱海など日本の代表的なリゾート地で「サニーハイツ」ブランドのマンションを分譲した。


マンションブーム、そして列島改造ブームによる建築ラッシュにより、日本の木材需要は急拡大した。日綿はこうしたトレンドを先読みし、1960年代に木材の商いを本格的に開始。他商社に比べ後発組だったが、その後業界トップの座に躍り出ることになる。


原木輸入を行うため、昭和43(1968)年からインドネシアのオビ島、南カリマンタン・サツイなどで森林開発を行った。昭和47(1972)年には米材の積み出しにおいて業界第一位となるが、米国ワシントン州のタコマ港では「タコマオペレーション」と呼ばれる独自の船積方法を開発。木材専用船の開発、愛知県衣浦湾に木材専用船が接岸できる専用ふ頭を建設するなど画期的な物流システムを生み出した。


その後、ソ連、ニュージーランド、チリからの輸入も積極化し、昭和53(1978)年には4大外材(米材、南洋材、北洋材、ニュージーランド材)の輸入実績で商社第1位となった。

  • 日綿が手掛けたマンション(1969年、横浜市)

  • インドネシア・オビ島での森林開発プロジェクト(1971年)

  • ワシントン州・タコマ港木材流通基地(1964年)