広岡浅子と鈴木よね(日本女子大と神戸女子商業の設立)

NHK連続テレビ小説「あさが来た」は広岡浅子をモデルとしたドラマであり、その夫の信五郎は、日本綿花発起人の一人。一方で、双日のもう一つの源流である鈴木商店女店主の鈴木よねは、浅子と共に二大女性実業家として当時の新聞に紹介され、鈴木商店は大正期に日本一の総合商社に成長。


広岡浅子と鈴木よねとは、実業家という側面だけではなく教育面でも共通点がある。広岡浅子は、明治34(1901)年に日本初の女子大学となる日本女子大の設立に深く関与。一方の鈴木よねも、大正6(1917)年に、日本初の女子商業高校となる神戸女子商業(現・神戸市立神港高校)の設立に際して多額の寄付を行った。同校の創立記念日は、鈴木よねの誕生日と同じ日である。


現在の神戸市立神港高等学校は、昭和24(1949)年神戸女子商業の後身の神戸市立湊商業高等学校と神戸市立神港商業高等学校が統合されて誕生した男女共学校である。

  • 創立当時の神戸女子商業

  • 神戸女子商業の校旗