日本綿花発起人~加島屋と日本初の「商社」~

双日の源流の一社である日本綿花(ニチメン)は明治25(1892)年に、25名の発起人によって設立された。その中には加島屋の広岡信五郎の名も含まれている。広岡信五郎は、NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデル広岡浅子の夫である。


加島屋は徳川家光の時代から続く両替商で、三井・鴻池と並ぶ大阪の豪商といわれた。ペリーが来航し、神戸港が開港されると、加島屋は幕府の小栗上野介から他の大阪商人らとともに貿易会社の設立を命じられる。その際、小栗が幕府に宛てた「設立の建議書」の中で、日本で初めて「商社」という言葉が使われた。この貿易会社が、慶応3(1867)年に設立された「兵庫商社」である。加島屋はこの兵庫商社に最大の出資者として参画し、当時の店主、広岡久右衛門正饒(信五郎の父) が頭取に就任した。


結局、同社は大政奉還により自然消滅するものの、加島屋は日本で初めて「商社」と名のついた貿易会社に参画し、海外との取引に目を向けようとしていたのである。



  • 摂州神戸海岸繁栄図